早朝、日課の乾布摩擦を片手で器用に終えた山本元柳斎重國は、小半刻前から広縁に感じていた気配を振り返った。
「お早うございます、元柳斎殿」
 折目正しく正座し膝に両手をついて辞儀する己の右腕、雀部長次郎忠息に、うむと山本は返事をする。
「お早う、長次郎。お主、今日は非番であったろうに、もう少し寝ておればよいものを」
「本日は三番隊の吉良副隊長の来訪予定がありまして、私邸を掃除しなければなりません。早めに退出いたします」
「ほう? 吉良か」
 山本にとっては意外な人物の名が雀部の口から上がり、覚えず彼は嘆息した。雀部にとってもその反応は予想通りであったのか、ふと口許を笑ませるだけに留める。自身の副官が時折若年の同僚たちと交流をしていることは把握していたが、私邸を訪れるほど懇親が深くなっていたとは。
「若造らとの交流もまた善きものじゃな」
「ええ」
 きんと清かな朝日の下で汗を拭き、広縁の雀部の左隣に腰を落ち着けて上衣をゆったりと羽織った山本は、手拭いを畳んで脇に置く。雀部が差し出す緑茶を受け取り、それを僅かに掲げて礼の代わりとし、山本はひとくち含む。ほうと吐かれた息が空気に溶けた。
「然らば昨晩は無理をさせたか?」
「…………」
 不意打ちのいたずらな声音は雀部を押し黙らせ、山本はくつくつと喉で笑う。
「儂もたまには交流を図ってみるかの」
「…………皆、驚かれましょうが、それもまたよろしいかと」
 赤らんだ頬のまま雀部はひとつ咳払いをして答える。
 ほんにそう思うかと山本は問い掛けようとしてやめた。口に出してしまえば真になり得る。代わりにじいと雀部を見つめると、月白の瞳が静かに山本を見つめ返し、それからゆったりと細められた。
「久方ぶりにそんな元柳斎殿を拝見するのも楽しみです」
「…………そうか」
 まだ僅かに染まっている頬が穏やかに持ち上がるのが眩しい。右腕を伸ばし、その頬に触れ、親指でやわく目許を撫ぜる。山本はこの鋭くしなやかな眦に、皺が少しずつ、少しずつ刻まれていくのをずうっと見てきた。
 我らは年をとったなと、心底から口にするのはいつになるだろうか。


 ◇


「おや」
 呼び鈴が鳴り玄関前に出た雀部は思わず声を発した。二人分の霊圧があるなと感じてはいたが、やはりというか引き戸の磨り硝子の向こうには二人分の凹凸の影がある。「どうぞ」と声をかければ、からりと戸が開いて現れたのは、包みを抱えた私服の吉良と、死覇装に隊長羽織を纏った手ぶらの鳳橋だった。
「こんにちは、お邪魔いたします」
「ハロー! 雀部副隊長殿」
「ハロー、こんにちは、お二方。どうぞお上がりください。鳳橋隊長は、送迎ではないのですよね?」
 からかい混じりに問えば、吉良と鳳橋は同時に首を振る。聞けば、偶さか街中で出会ってしまったのだと言う。信じられない職務中に、と吉良は経緯を説明しながらわなわなと震えていた。彼自身は雀部同様非番であるだけに、上官が揃って抜けている三番隊の隊務の現状を憂えているのかもしれなかった。
「お客様が増えても私は構いませんぞ」
「本当ですか! ありがとうございます」
「雀部副隊長、甘やかさないでください」
「おやおや、叱られてしまいました」
 そんなつもりは、と頬を染める吉良の様子は雀部には愛らしく映る。さあと中に促せば、彼らはいそいそと履き物を脱いで玄関に上がった。
「スリッパをどうぞ」
「あ……こちらも洋式の一種ですか」
「そうですね。鳳橋隊長はご存知でしょう」
「ええ」
 慣れた仕草でさっと膨らみに足を通した鳳橋は吉良を見てにこりと笑った。おずおずと倣う吉良はその肌触りに瞬く。
 雀部は二人を洋風に改装した応接室に通し、用意していた茶器を三人分、座卓に供しようとした。その折で吉良が包みを開き、中から菓子を差し出してくる。
「芋羊羹です。洋菓子の知識がなく、一番近そうなものをと思って」
「以前の茶会でどら焼きをお出ししましたが、あのように和菓子も紅茶に合うんですよ。芋羊羹でしたらアッサムをミルクティーにしましょうか」
「はい、如何様にも」
 雀部の言葉に僅かに吉良の顔にあった緊張が解れ、ほっと微笑みが浮かぶ。一方、ソファに掛けてそのやり取りを見ていた鳳橋は常になくそわそわして恐縮した様子だった。
「すみません、ボク手ぶらで」
「お気になさらなくてよろしいですよ。職務中であればなおのこと」
 雀部の返答に意表を突かれ、あちゃあと鳳橋は苦笑した。彼の隣に戻った吉良がじとりと睨めつけている。彼らの対面のソファに腰を下ろし、気安いいさかいを制するようにてきぱきと淹れた紅茶を促せば、鳳橋はやはり慣れたように、吉良はぎこちなくカップを取った。以前の茶会では自然に口をつけていたから、言わずもがなそのぎこちなさには理由があるのだろうと雀部は推察する。
 彼らの様子を微笑ましく眺めてから、雀部もカップに口をつけ、一口飲んでソーサーに戻す。
「鳳橋隊長のご用事から伺いましょうか」
「えっ?」
 雀部の発言が意外だったようで鳳橋はその垂れ目をぱちりと瞬かせた。吉良の反応も似たようなもので、彼は雀部と隣にいる上官とを交互に見ている。
「だからいらしたのだと思っていました」
「あっ……ええと、はい、伺いたいことがありまして……」
「はい?」
「ぺ……ペンギン・カフェ・オーケストラをご存知ですか!?」
「無論。素晴らしい楽団です」
 鳳橋の唐突で――吉良にとっては――奇天烈な質問と、それを受けた雀部の即答に吉良は呆気に取られ、それからすぐに上半身を引いて「えぇ……」と半眼になった。
「ああ……! 本当ですか! やはり!」
「鳳橋隊長はどちらかと言えばキンクスやローリング・ストーンズのような音楽を好まれるのかと思っておりました」
 雀部はおもむろに立ち上がり、応接室から襖を挟んで続き間になっている書斎に客人たちを手招く。うきうきと立ち上がり彼に続く鳳橋の背をげんなりと見つめながら吉良もまた二人を追った。
「もちろんバンドサウンドも大好きです! 往年の名曲から最近のナンバーまで幅広く聴きますよ。以前は雀部副隊長に英国趣味がおありとは存じ上げなかったので、話を聞きたかったのですがこれまで機会がなく……わあ!」
 案内された書斎では壁面にある重厚な装飾の施された暗褐色の書棚に、多種多様の書籍やレコード、CDアルバムが整然と並んでいる。十番隊舎の隊首室の趣向に似ていると吉良は思ったが、あの場よりも“生真面目さ”のような空気が感じられた。
「蓄音機まである……! アンティークがお好きなんですか?」
「そうですな。でも、ロックやポップスのミュージシャンもいくつか。新生ペンギン・カフェのレコードもありますぞ」
「多趣味ですね! イギリスの音楽ってときどきちょっとキミっぽいんだよ、イヅル! 仄暗くて、湿っていて、陰があって、ユーモアがあって」
 二人の話についていけない吉良を振り返り熱っぽく語る鳳橋はすっかり高揚しているのか、身振り手振りが大きい。だがそうされたところで吉良はますます精神的に引くばかりである。ましてや自身の陰気な性格について言及されたばかりなのだ。
「ついに面と向かって暗くて湿っぽくて陰があると仰いましたね……」
「いい意味で! ユーモアもあるって言っただろう?」
「いい意味に聞こえませんよ」
「ふふっ、よろしければご自由に曲をかけてください。どこでも見て構いませんぞ」
 雀部の言葉に鳳橋は俄然喜んだ。あれやこれとレコード盤の入ったケースを手に取っては吉良には耳慣れない何かのフレーズを口にしている。
「我々はあちらで話していますから」
「オッケーイ! ありがとう雀部副隊長!」
 すっかり目の前の楽園に集中してしまった鳳橋を置き、雀部は吉良の肩を軽く押して応接室に戻ると、サイドテーブルにもう一式用意していた茶器を取った。
「さて、紅茶についてでしたな」
「…………はい」
 吉良の来訪理由はそれだった。雀部の得意分野であり、研究分野でもある『紅茶の淹れ方』について。
「いや、嬉しい限りです。こうして訊ねに足を運んでくださるなんて」
「お忙しいところに無理を言ってすみません」
「いつでも大歓迎ですよ。こちらへどうぞ、同じ向きで手許が見えたほうがわかりやすいですから」
 ほこほこと微笑む雀部は吉良を自身の隣へ招き、まずは口頭で紅茶の淹れ方についての説明を始めた。茶器の素材や水の種類、楽しむ紅茶の種類によっても淹れ方や味の変わることや、蒸らしに要する時間や湯温、また紅茶を注ぐカップの色味や、産地による茶葉の違い、階級制度に端を発するマナーの違いまで。
「こ、細かいですね……」
「本来、紅茶を美味しく楽しく飲むだけならここまでせずとも構わないのです。ですが君はこうして私に訊ねに来てくれた。ならば私は私が学んだ作法を君に伝えたいと思いますがいかがですか?」
 その言葉に吉良はゆっくりひとつ瞬き、それからぺこりと頭を下げた。
「ご教授お願いいたします」
「こちらこそ、ぜひ」
 改めて茶器一式を吉良の前に置き、では改めてと雀部は一通り説明して、吉良の手つきを監督する。もともと小器用にこなせる彼だからそこまで覚束ないというところがなく、雀部は満足そうに口許を笑ませた。
「ところで、吉良副隊長はどちらかといえば和様を好まれると思っていましたが、何かきっかけでもあったのですか?」
 ぴたり、と吉良の動きが止まる。襖が一枚開け放された向こうから聴こえてくるグスターヴ・ホルストの『金星』が、このとき初めて耳についた。
 わかりやすい子だな、と雀部は思っても口にしない。年を隔てているだけに普段の内向的な雰囲気にも可愛らしさが勝り、なおのこと、雀部は吉良に対して“どこか自分に近いところがある”と感じてすらいたから。
「……その……」
「よもや」
 目線をきょろきょろと動かす吉良に一言だけ口にして、手のひらで彼らの後背にある音楽の出どころを示す。彼はにわかに頬を薄く赤らめて小さく頷いた。
「鳳橋隊長は現世での経験がありますから、雀部副隊長同様、時折紅茶を嗜むのです。それで偶さか僕にも手ずから供してくださったことがありまして、美味しかったものですから……礼と言ってはなんですが、僕も鳳橋隊長に紅茶を、淹れたい、な、と思いまして……」
「それで学びを? すごい」
「いえ、そんな……」
 雀部は先の自身の考えを内心で一部改め、謙遜する吉良を制する。
「他者に柔軟に学ぶ姿勢はそれだけで尊敬に値しますよ。相手の好ましく思うものを受け容れ対応しようとする意気は、頑固な私こそ学ばねばなりませんな。私など趣味嗜好のうえでは総隊長の真逆ですし、お互い譲りません」
 最後のくだりに吉良がくすりと笑う。それは雀部の思った通りの反応で彼は安堵した。
「以前から雀部副隊長が紅茶に親しむご様子を拝見していたからこそです。自分一人ではきっとやる気にもなりませんでしたよ」
「なれば冥利に尽きるというものです」
 年下たちの手本となるよう年長者として振る舞っているつもりでも、見方を変えれば年寄りのお節介と思われても仕方ないと思っていたが、交流する同僚たちの表情を見るにつけ、雀部の内奥に杞憂なのではと期待する心がなかったといえば嘘になる。そして今、若者の控えめな笑みに偽りは見出せなかった。
 吉良は紅茶を注ぎ、明るい黄金色の水面が揺れるカップをソーサーに載せて雀部に差し出した。雀部がそれを受け取り、高原の風のように爽やかな香りを嗅いでからひとくち飲むと、若々しく未熟ではあるが心地よい渋味が口内に広がった。
「うむ、さすがヌワラエリヤ。お上手ですな」
「……専門的な言葉ばかり聞かされます、今日は」
「これは失礼」
 そうしてもう一口紅茶を飲んだところで、カタリと書斎との境界から音がした。
 二人同時にそちらを振り返ると、それまで柱にもたれて彼らを眺めていたらしい鳳橋の慌てた表情が目に入る。
「わ、ごめん。邪魔するつもりじゃなくて」
「鳳橋隊長、よろしければもう一杯紅茶をどうぞ。吉良副隊長」
 鳳橋をソファの対面に促し、雀部は吉良に目配せした。
「イヅルが淹れてくれるの? 嬉しいね」
「……お手柔らかに」
 いそいそとソファにかける鳳橋に対するぶっきらぼうな返答は雀部に“彼らしくなさ”を感じさせるが、その横顔には確かに照れがある。
「お二人はさながらご兄弟のようですな」
 雀部としては、彼らの親しげな様子を置き換えて発言したつもりだった。相手のために紅茶を淹れたいと願う心も、友愛の成せるわざだと。
 そのとき、そわりと、隣で支度をする吉良の霊圧が焦燥に揺らいだように雀部は感じた。
「ああ、それでは困ります」
 一方で、溌剌と声を発したのは鳳橋だった。
「今ボクはイヅルを口説いてる真っ最中なのですよ。兄弟に見えるんじゃあ、まだまだ至らないみたいですね」
「おや」
 感嘆の声が覚えず漏れる。
「それは、大変失礼いたしました」
「ああ、いえいえ。ボクが未熟なんです。あ、口説くといってもね、立場を利用したいわけじゃなくて……って、ボクが言ったって説得力ないんですが」
 腕を組みつつ顎に片手を当てた鳳橋の表情は心底からそのことを憂えているように雀部には見えた。対等な立場として彼を“口説きたい”のだと。ちらと横目に吉良を窺うと、雀部の側からは左目は長い前髪に隠れて見えないが、その耳の縁が真っ赤に染まっている。
「雀部副隊長に変なこと仰らないでください。はい、どうぞ」
「変じゃないよ。ありがとう、イヅル」
「変ではありませんぞ。むしろ腹を割って話していただけてありがたい」
「……そう、ですか」
 未だ熱が冷めやらぬ耳を指先で掻き、吉良は遠慮がちな視線を鳳橋に向けた。雀部の視界で鳳橋は「おいしい! この清涼感と渋味がたまらないね」と喜々としている。
「イヅル、紅茶淹れるの上手だね。もしかしてそのうち何かあるの? 副隊長たちでお茶会とか?」
「…………」
 雀部と吉良を交互に見やり、鳳橋は小首を傾げてみせる。雀部が首を振るとぱちりと瞬いた彼は何も言わない吉良に目を向けた。
「……興味があったので。よろしければ時々、淹れますよ。お好みの淹れ方があるなら無理にとは」
「いいのかい!?」
 言いませんが、と吉良は弁明したかったのだろうが、話を遮るように鳳橋が歓喜の声を上げたために取り繕うことは叶わなかった。
 鳳橋の霊圧がぱあっと華やかさを帯びる。それにあてられて雀部は苦笑するよりない。
 ――本当にお好きでらっしゃるのだな、この人は。
 雀部にしてみればずいぶんと若輩ではあるがそれなりの年月を生きている二人だ。雀部自身も与した“不当”のための不遇もある。それなのにこの明るさと初心さはなんだろう。
 ――愛らしいな。
 これまで何度も過ったその感慨が、改めて雀部の体内に沁みる。
 吉良の淹れた紅茶をもう一口、もう一口、芋羊羹にも合う、とどこか一所懸命さを感じさせながら差し入れと合わせて味わう鳳橋と、彼を注意深く窺いながら耳の赤みを冷ますことのできない吉良の様子を眺めながら、雀部はついつい眦が下がってしまっていた。


 ◇


 二人の客人が邸宅を辞去する背中を見送り邸内に戻った雀部は、書斎から聴こえてくる音楽でレコードがかけられたままになっていることに気づく。エドワード・エルガーの『独創主題による変奏曲』、いわゆる『エニグマ変奏曲』ピアノアレンジ集で、今流れているのは第九変奏『ニムロド』のメロディーだ。
 自然と鼻歌を歌いながら、茶器を片付けに台所に向かう。護廷十三隊に属する死神で私邸を持つもののうち家事手伝いとして使用人を置くものも少なくはなく、雀部もまた住み込みの使用人を二名ほど雇ってはいたが、今日は休暇を出している。長い付き合いで心得たもので、めいめい自室で寛ぐか外出するかしているだろう。元より、こだわりの強い雀部の趣味関連の一切には使用人らも触れてはこない。気安い関係だった。
 茶器をすべて片付け終え、書斎の文机に着いて音楽を堪能していた雀部は顔を上げる。慣れた――慕わしい霊圧が少しずつ近づいてくる。その感触は雀部にだけ向けられている。それがいい、使用人たちが怯えてしまってはいけない。
 玄関に向かう雀部の後背で第十四変奏『E.D.U.』が流れている。
 からりと玄関の戸を開けると、そこには朝以来に見る山本の姿があった。
「長次郎や、わざわざ出て来んでもよい」
「――失礼いたしました、元柳斎殿」
 彼に名を呼ばわれ、そうして彼の名を呼ぶと、得も言われず満ち足りた心地になる。
 だがそのとき、彼を目の前にして雀部はふと、二千年も前のある記憶を思い出した。
『本日より儂は元柳斎を名乗る』
『え?』
『貴様のせいだぞ。早う呼ばんか』
『えっ? え?』
『早う』
 常の通りに鋭いが、その鋭さの奥にいつしか温もりを見るようになった。雀部から彼に向ける熱は、畏敬の念も、思慕の情も、変質せず増すばかりなのに、変わったのは。
 ――変わったのは、彼のほうだった。
『で、では。…………元柳斎殿』
『…………応』
 大きな手が伸びてきて、憧憬する相手の前に出るのだからと丁寧に整えた髪をくしゃりとかき混ぜられる。熱い手だ。

 自分のために変わったこの方の、あれからずっと、変わらぬ熱い手。

 右手に携えていた杖を玄関の傍らに立て掛け、山本は右手を雀部に向かって伸ばす。雀部は迷わずそれを取り、邸内に彼をいざなった。
「吉良は帰ったのか」
「ええ、少し前に。鳳橋隊長も共にいらっしゃったんですよ」
「ほう。彼奴は職務時間ではなかったかの」
「ああ、まあ、はい。ふふふ」
 どうにも隊長格には彷徨癖があるものが多い、と旧知の年下を思い浮かべながら、雀部は山本を応接室に通す。
「今、茶をお持ちします。吉良副隊長から芋羊羹をいただきましたのでそれも」
「紅茶で構わん」
 不意の言葉に雀部は目を丸くした。ソファにゆったりと腰を下ろした山本はいかにも好々爺然として雀部を見上げる。
「合うと言っておったろう」
 不思議なことは何もなかった。山本の灼けるほどの熱を雀部が忘れることのないように、雀部の言を山本が忘れていないだけだ。
 それだけのことが嬉しい。
 ――あんな初心な情愛にあてられては。
「……では、ヌワラエリヤを。以前はアッサムでしたが、セイロンも合いますので」
「うむ」
 ゆったりと豊かな白鬚を撫ぜる右手がそのまま安寧の形をしている。雀部は一礼し、一旦書斎に入り音楽の終わっていたレコードを初めから再生させ直すと、彼に供する紅茶を淹れるため足早に台所に向かった。
 己が今から入れる一杯が、彼の体を芯から温めてくれることを願って。