All About 三國超級

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三國超級について

 「三國超級」は、「後漢足球聯盟」に代わる新たなサッカーのプロリーグとして設立された。「超級」とは1部リーグの名称であり、以下甲級(2部)乙級(3部)と続く。
 参加チームは12チーム。試合形式はホーム&アウェー方式による1シーズン総当たり戦(全22試合)で行われ、3月~4月の開幕から10月~11月の閉幕までを戦う春秋シーズン制を採用している。

 またリーグ戦の他に、超級・甲級・乙級・アマチュアリーグの全チームが参加してノックアウト方式で争われる三國FAカップもシーズン中に開催される。
 シーズンの優勝・準優勝チームにはACL(仮)への出場権が与えられる。

 参加12チームはそれぞれ複数のホームスタジアムを有する。これはホームタウン機能の一極集中化をできるだけ避け、地方活性化に役立てる狙いがある。リーグ戦で使用されなかったスタジアムについては、カップ戦や国際交流試合等のメインスタジアムとして割り当てられ、シーズンを通して使用されないスタジアムがないことを目標としている。

 三國超級は「三國足球協会」によって運営される。本部は洛陽に置かれ、参加12チームのホームタウンにそれぞれ支部を置く。会長は劉協。

参加チーム

 三國超級の参加全12チームの概要を以下に記す。
(地名は大体エンパを参考にしてますが例外ありです)

許都曹魏
ホームタウン:許昌
監督:曹操(孟徳)

 三國超級の前身、後漢足球聯盟で活躍した曹操、夏侯惇、夏侯淵の三人を中心として設立されたチーム。 超級における最多優勝回数を誇り、ACL(仮)への出場回数も多い。
 監督である曹操の方針で、楽進、李典、于禁を始めとする生え抜きの選手を積極的に起用する傍ら、張遼、徐晃、張コウといった才能あふれる選手をライバルチームから獲得することにも余念がなく、その姿は「人材マニア」と呼ばれる。
 コーチ陣には夏侯惇や夏侯淵の他、荀彧、賈クといった智謀が脇を固める。またチームの10番を担う郭嘉はその先見性や視野の広さ、的確な指示能力から「フィールドの監督」と評され、曹操から全幅の信頼を置かれている。


大徳蜀漢
ホームタウン:成都
監督:劉備(玄徳)

 劉備、関羽、張飛を中心に設立したチーム。劉備は監督業に専念するため現役を引退しているが、関羽、張飛の二人は選手兼コーチとして現在も活躍しており、その実力は一騎当千、或いは万人敵とも称される。
 設立当初は選手層も薄く成績も伸び悩んでいたが、度重なるホームタウン変更(※)の末、遼東公孫の趙雲、荊州劉家の黄忠と魏延、まだ無名だった諸葛亮やホウ統、そして成都劉氏の法正といった選手を獲得し、近年では許都曹魏に勝るとも劣らない戦績を残すまでになった。
 若手育成にも力を入れており、関平や関興、張苞といったユース選手の起用、また許都曹魏から姜維や夏侯覇といったマルチプレーヤーを引き抜くなどアグレッシブな活動が注目を集める。
※このため各地のチームから大ひんしゅくを買った大徳蜀漢は、さすがに見かねた三國足球協会により罰金と永久的ホームタウン変更禁止のペナルティを科された。結果同じ成都にホームタウンを置く成都劉氏が割を食うことになり、同チームはたびたび三國足球協会に対して抗議の申し入れを行っている。


江東孫呉
ホームタウン:建業
監督:孫堅(文台)

 後漢足球聯盟で活躍した孫堅、黄蓋、韓当が主導となり「江東にもプロチームを」の旗印のもとに設立された。そのスローガン通り、チームに在籍する選手の多くは江東地域や江南地域の出身者である。
 三年連続で得点王に輝いているCFの孫策、GKとしては小柄ながらリーダーシップに長けた孫権を中心にした堅守速攻が持ち味。また前述の孫策や太史慈、甘寧に代表される卓越した個人技も孫呉の魅力であり、これらの個性豊かな選手たちを巧みにコントロールする周瑜や魯粛、呂蒙や陸遜といった、判断力に優れ攻守に渡って存在感のあるゲームメーカーがチームに多いのも特徴の一つ。


冀州袁家
ホームタウン:ギョウ
監督:袁紹(本初)

 後漢足球聯盟の中心選手であった袁紹が主導となって設立したチーム。三國超級の発足に際し従兄弟である袁術と共同でチーム運営に当たる計画もあったが、結局双方の間で折り合いがつかず、袁紹は冀州袁家、袁術は袁氏仲王(後述)を設立することとなった。この経緯により当該2チームの対戦は袁家ダービー、或いは「御家騒動」などと揶揄されることもしばしばである。
 ユース出身選手を積極的に起用する。文醜、顔良を始めとする破壊力ある攻撃陣と、田豊や沮授に代表されるクレバーなプレーを得意とする選手が多い。


馬家西涼
ホームタウン:西涼
監督:馬騰(寿成)

 三國超級に参加する12チームの中では最も西に位置するホームタウンを有する。
 地元の名プレーヤー馬騰や韓遂が中心となって設立されたチームであり、現在は彼の息子である馬超が中核を担う。選手一人一人の豊富な運動量とスピードを活かしたカウンター攻撃を得意とする。


涼州董氏
ホームタウン:長安
監督:董卓(仲頴)

 後漢足球聯盟において「暴君」と渾名された董卓の率いるチーム。名称に「涼州」とつく通り当初は天水にホームタウンを置いていたが、現在は長安に移転している。
 徐栄や胡軫といった攻撃力のある選手を擁し、かつては呂布もこのチームに籍を置いていた。


南中聯合
ホームタウン:南中
監督:孟獲

 後漢足球聯盟随一のパワープレーヤーとして名を馳せた孟獲を中心に、南中地域に属する複数のチームが統合されてできたチーム。その多くの選手が恵まれた体格を持ち、攻守に渡って存在感を発揮する。
 また南中聯合女子足球部は三國女子級において三年連続優勝の栄冠に輝いており、特にキャプテンである祝融の活躍は「火の神」と絶賛され、眼を見張るものがある。


遼東公孫
ホームタウン:北平
監督:公孫サン(伯珪)

 中原北部地域に拠点を置く北方の雄。同じ河北のチームである冀州袁家とは互いを「天敵」と呼び合う仲で、このため当該2チームによる河北ダービーは異様な盛り上がりを見せる。
 かつては劉備を始めとする大徳蜀漢の選手たちが籍を置いており、劉備らが離れた後も互いの関係は悪くないらしい。
 白いユニフォーム、またホームスタジアム「薊体育場」の壮麗な白亜の外観から、地元のファンからは「白馬義従」という愛称で親しまれている。


袁氏仲王
ホームタウン:寿春
監督:袁術(公路)

 後漢足球聯盟で活躍した袁術が設立したチーム(冀州袁家との関係については冀州袁家の項を参照のこと)
 江東孫呉設立以前に孫策が籍を置いていたチームでもあり、三國超級草創期には毎年上位に名を連ねる活躍をしていたが、近年は戦績が振るわず低迷している。また監督である袁術はトラブルメーカーとして悪名を轟かせており、遼東公孫や荊州劉家との不仲がサポーターにも影響し、当該チームとの試合において騒動が起きることもしばしば。


荊州劉家
ホームタウン:襄陽
監督:劉表(景升)

 後漢足球聯盟で活躍を見せた劉表の率いるチーム。劉表自身もさることながら、蔡瑁、カイ越といった戦術眼に優れた選手を多く擁している他、現在は他チームで活躍する黄忠や魏延、文聘ら優秀な選手を輩出している。
 かつて荊州劉家に所属していた黄祖(現在は同チームのコーチを務める)のラフプレイにより孫堅が選手生命を絶たれるほどの大怪我を負ってしまった遺恨から、江東孫呉とのチーム仲は良くない。そのため荊州劉家に所属していた甘寧の江東孫呉への移籍は超級界を驚かせた。


成都劉氏
ホームタウン:成都
監督:劉璋(季玉)

 益州成都にホームタウンを置く、後漢足球聯盟の名選手・劉焉の息子劉璋が監督を務めるチーム。チーム内コミュニケーションの活性化や試合における確実な勝利のために選手の側から監督に対して意見を出すことは往々にしてあるが、このチームでは主に選手の意見を重視して戦術を構成している。しかし監督である劉璋の優柔不断な性格が災いし、チーム内で衝突が起きることも少なくない。
 成都はホームタウン変更を重ねた大徳蜀漢が最終的に腰を据えた地でもあり、互いに反目し合っている(大徳蜀漢の項を参照のこと)近年は地元ファンの多くが大徳蜀漢を応援していることも悩みの種のようだ。


太平黄巾
ホームタウン:広宗
監督:張角

 宗教法人「太平道」の創始者である張角は、スポーツ振興にも注力している。選手は全員「太平道」の信者であり、超級に参加する他チームとの移籍交流が全くない異色のチーム。新設ながら信仰と団結心に裏打ちされたチームワーク、選手個人個人の向上心と自己啓発による積極的な技術の習得によって、毎年中位から上位に食い込む活躍を見せる。
 サポーターももちろん信者である。「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」と書かれた横断幕やゲートフラッグがゴール裏に林立し、サポーター全員が黄色に染めた鉢巻をして一糸乱れずアンセムを熱唱する様は圧巻の一言。


呂布
 かつて後漢足球聯盟を賑わせ、「人中の呂布」と呼ばれ畏怖された彼も三國超級に参加するのであろうと誰もが考えていた。三國足球協会も呂布のチームのための席を用意していた。しかし予想に反し、彼はチームに所属していた選手のほとんどをゼロ円移籍という形で他チームに放出し(許都曹魏のエース張遼も以前は呂布のチーム所属だった)参謀役である陳宮、マネージャーである貂蝉と共に行方をくらませる。
 張遼曰く、「私も呂布殿も人生是れ武者修行の旅ということですな」とのこと。



ここまでご覧いただきありがとうございました!!増えるかもしれないし増えないかもしれないし増えないかもしれません!!

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