「今日は、私が主役の日だそうだ!」
「ほう」
 今日も今日とて魏フロアトド水槽にやってきたカリフォルニアアシカの孫権。うんと胸を張り、トドの于禁に得意げにしてみせます。于禁は特になんとも思っていないようですが、孫権はふふんと鼻を鳴らしました。
「なので、ごほうびがほしい」
「……? 主役だとごほうびがもらえるのか?」
「うむ。先ほど韓当と一緒に兄上のショーを見学してきたのだが、周瑜からたくさん撫でてもらっていたのだ」
 呉フロアのスター、カリフォルニアアシカの孫策は彼の担当飼育スタッフである周瑜とは大の仲良しです。今日はアシカの特別ショーがあり、そこでがんばった孫策は周瑜にたくさんおさかなと賞賛をもらっていたのでした。
「では、撫でればよいのか?」
 このひれでどうやって? と半ば自身でも疑問に思いながら于禁が訊ねますと、孫権はぷるぷる首を振ります。どうやら、違うみたいです。
 さて、そこで孫権はもじもじしだしました。いつも急に引っ込み思案になるこのアシカの子供は、于禁にとっては不思議な存在です。
 于禁がじっと辛抱して相手の言葉を待っていますと、ようやく孫権は口を開きました。
「い、一緒に、泳ぎたい!」
「!」
 于禁はぱちりと瞬きました。
 于禁たちの暮らすトド展示水槽は、陸場の広さもさることながら、上層フロアと下層フロアを縦に貫いた深い構造で、その大きさはメインフロア『天河走廊』の水槽を除けば三國市海洋水族館では一番といっていい容量を誇ります。体の大きなトドたちがそのなかを泳ぐ姿は圧巻で、特に光量の少ない下層フロアから自然光の射す上層フロアを見上げる角度は人気のフォトスポットでした。
 なるほど、孫権もこの空間に憧れたに違いありません。于禁は、ならば、と頷きました。
「典韋殿の了承があれば」
「! 典韋!」
「あぁ?」
 陸場でのんびりおひるねモードに入っていたもう一頭のトド、典韋は、不意に声をかけられて苛立ち交じりに返事をしました。ぎょろりとトドの丸い目に睨まれても、孫権は意に介する様子を見せません。
「于禁と一緒に泳いでもいいか!?」
「はぁ……? 勝手にしたらいいだろ。わしぁ眠いんだ……」
 ぐわあと大きくあくびをひとつ、典韋は再び目を伏せます。いいって! とぱたぱたひれを動かして喜ぶ孫権に于禁も、典韋への申し訳なさもありつつ苦笑しました。
 初めて入る深いプールですから、于禁が先に入ってくるりと振り返ります。孫権は両目をきらきらさせて口をぽかんとしばらく開けた後、慌ててプールに滑り込みました。
「深い!」
「ああ」
「それに、きらきらしている……」
「ああ。光が射し込むからな」
 昼間の太陽光線が、長いカーテンになって水中に靡いています。水の流れに合わせて揺れながら、孫権の前を先導する于禁の体にまだら模様を作ってひかめかせています。
「ずっと、見ていたが……こんなに近くに、ガラスも隔てないでいるのは初めてだから……」
 于禁がくるりと体を翻らせると、うっとりとした眼差しで自分のことを見つめている孫権がいて、彼は思わずどきりとしました。なんて熱っぽい瞳なのでしょう。そんなに彼は、于禁のことが――
 途端、ぴゅんと孫権は泳ぎ来て、于禁の体にぴとりと寄り添いました。水のなかでも彼の体の熱が伝わって、于禁はぽかぽかしてきます。
「…………」
「楽しいな! 于禁!」
「……ああ、そうだな」
 くるり、くるりと孫権は于禁の周囲を泳ぎながらくっついて、くっついては泳ぎ回って。
 本当に、楽しそう。
(ごほうび、か)
 于禁は思わず微笑みます。そうすると孫権も嬉しそうにぱあっと満面の笑顔になって、すり、と于禁の太い首にすり寄りました。
 そうして二頭は広く深いプールのなかを、飽きるまで泳ぎ回っていました。

「すっかり常連になっちゃって、まあ」
 シャッターを切る軽やかな音。夏侯淵のからかい交じりの声に、隣に並んでいた韓当も笑って頷きます。二人の見上げる視野には、青い景色のなかを太陽光のカーテンに照らされて踊るように泳ぐアシカとトドの姿がありました。
「なんなら、引っ越してくるか? ずっと一緒にいられるぞ」
「ん、いや……ここまで来るのも楽しそうだし、運動にもなるしなあ。それに、帰りたくないって駄々をこねたことはないからなあ」
「ははは、そうか」
 “家”はあっちってことか、と独りごちる夏侯淵に、韓当も無言で頷きます。
「孫策のショーと孫権の遊び。世界アシカの日だ、いろんなアシカの写真載せるか。ああ、孫尚香には歯ぁ見せてもらおうかな。歯磨き練習始めてたよな?」
「おお、まだ慣れてないけどな。うんといい感じに頼むぞ」
「おう、任せとけー」
 片腕を曲げてポーズをしてみせ、夏侯淵は去っていきました。韓当はそうして、再び水槽のなかを見上げます。視線の先には、相変わらず楽しそうな二頭。いえ、孫権ははしゃいで、于禁は軽くいなして? 于禁の大きな前肢に孫権は頭や背中を撫ぜられながら、とにかく、二頭は一緒に泳いでいます。
「ふふふ、嬉しそうだ」
 世界アシカの日の“ごほうび”は、どうやら大成功みたいです。