酒席を嫌っているのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。私は彼に対する認識をひとつ改める。しばらく経てば離席しはするが、“来ない”ということはない。乾杯には必ずいる。そのくせ、あれだけの巨躯で誰の気も引かせぬうちに早いうちに忽然と姿を消してしまっている。
 人付き合いを気にするたちではないだろう、とは思う。余人の心象を良くしたいなら私のように八方当たり障りなく良い顔をすればいいだけの話だ。だが彼はそうではない。たとえ角が立ったとしても人の無法を咎め、激しく追求する。君主は彼のそういった性質を面白がっていて、誰に何を言われようとその行いを嗜めようとはしない。私もまた彼を好ましく思っているので君主の判断に異を唱えるつもりはない。
 そう、謂わば、“君主派”というやつ――この国は今、彼の振る舞いどうのこうのどころではなく揺れていた。大将軍が表立って君主のすることに反発するようになってきた。そして将軍の幾人、将兵の少なからぬ数が大将軍に追従し始めている。これらの事象は一年ほど前から徐々に明るみに出始めていた。ということは、それより前からそうした動きがあったということだ。私は一応君主の近くにあって彼を輔弼している。君主は豪胆な人物で常に余裕を見せているが、いつ何が起こるかはわからない。努努油断はせぬようにと言ってあるが、どうなるやらだ。
 さて、では彼はどうなのかというと、実は“君主派”でも“大将軍派”でもない。かといって中立というには灰汁が強い。彼はどうしようもなく独特で、どちらの陣営にも利害がある。彼にとって法の下に厳格であるということは、取りも直さず派閥に囚われないということだ。どちらの陣営の人物をも罰したし、その顛末としてどちらの陣営にも利することになった――彼のまったく意図しないところで。
 面白い話で、こちら側の陣営は私以外の誰も彼を取り込もうとは言わない。蚊帳の外にしてしまえと言う。君主本人も特に口を出さない。そしてこの対応はどうやら“大将軍派”でも同様らしい。現に目立って彼に接触しようという動きが見られない。除け者だ、有体に言えば。当然だろう。あのような扱いづらい、性根の真っ直ぐな人物を使いこなせるものなどこの天下にそういるものではない。我が君主とてそうなのだ。まったく、彼は手に余って愛おしい。そう、私は、彼を勝手に愛しんでいた。

 ところで、最近在野より登用された新入り、あれは有能だ。快活で人が好い。誰に対しても気さくな態度だが媚を売るというのではなく、付き合いがいいのだろう。もちろん我々は構ったが、“大将軍派”も早速接触していた。当たり前だが、欲しい人材らしい。あの人当たりの良さは事を運ぶに有利になる。
 呼べば当然酒席にも来る。新入りは酒好きらしかった。その割にあまり飲まない様子を指摘すれば、酒癖が悪いと返ってきた。多少のことでと笑ったら、人を斬ろうとしても? と重ねられて、さすがに閉口してしまった。冗談だったのか、それとも真実だったのか、これほど有能な人物がなぜ在野に、と抱いていた疑念がうっかり解消されかかってしまって、さすがに相手の名誉のためにその判断は据え置くこととした。
 しかし程なくすると、奇妙なことに――それを“奇妙”と表現するのは些か私情が混じり過ぎている気もするが――新入りはよく彼の傍にいるようになった。気がつけば彼と共に会話していたり、酒席を彼との先約があるからと断ったり、街中で二人歩いている姿を見かけることが多くなっている。そしてこうなってしまうと、“君主派”にも“大将軍派”にも手出しができない。なぜなら彼は除け者だからだ。私が時折君主に彼をこちら側に引き込めないか、と打診していたのは決して下心からのみではなかったが、そら見ろ面倒臭いことになった、と内心毒づくのは勘弁してほしい。

 いつしか二人して酒席からいなくなってそのまま戻らなくなることが増えてきた。どうやら陣営問わず他の連中にも彼らの動向を気にしていたものは少なくないようで、どこからか嘆息が漏れ聞こえる。
 このころには私はもうとっくに諦めていた。どうあれ私が何もせずにいる間、行動を起こしたものが果たして望んでいた通りの結果を得られたというだけの話なのだ。
 一月の後に彼は新入り“だった”男と共に国を出奔した。法の下に厳格であった彼はその実、同じくらいの熱量の情理が尽くされるのを待っていたのかもしれない。彼の愚直さを厄介がって埒外に置いていた我々には決して成し得ぬことであった。
 南に新しく国が建ち、風の噂に聞いたその君主と大将軍の名に覚えのあることに苦笑するのは、我が国が内乱により滅んでから一年が経った日のことである。