「ファリアーッ! 大変、大変なんだ!」
 ぴょんと跳び上がった俺を慣れたようにキャッチしてくれるファリアの腕と胸はいつものように広くてあたたかだったけど、今はそれを満喫している場合じゃない。俺はいっしょけんめに伸び上がり、ファリアの厚ぼったい唇の脇に前足を置いた。
「どうした?」
「俺の友達が殺人犯になってしまう!」
「どの子が? ピーター? トミー? アレックス?」
「ピーター!」
 微笑ましげだったファリアの表情が変わる。
「お前は冗談を言うやつじゃない」
「もちろんだよ」
 さすがファリアは俺のことわかってくれてる。まじめな顔つきになるファリアは、俺の耳をさすりながら、何があった、と尋ねてくれる。俺はファリアに、ありったけの言葉でピーターが囚われている狂気を伝えた。うん、うん、と頷くファリアは、ピーターの標的が自分の友達なことにも胸を痛めているようだった。
「つまり、こういうことだな。俺の友達が被害者になってしまう」
「そう! そういうこと!」
「困ったな……」
 眉をひそめるファリア、そのつらそうな表情に俺の胸も痛くなる。やっぱりこんなことはだめなんだという思いが強くなった。ピーター、俺は君を止めなくちゃいけない。友達として、ウサギとして。
「それじゃあ、ジョージの家に遊びに行くか」
「でもファリア、作戦はあるの?」
「作戦? 和平交渉以外に思いついたらそのつど教えてくれ」
「イエス・サー!」


 ◇


 街の外れの森の端っこにあるジョージの家に遊びに来た俺たちを出迎えてくれたのは、件のピーターのターゲット、ファリアの友達だった。よかった! まだ四肢は繋がっているみたい。いらっしゃい、と言う彼にファリアが、すっかり家主の雰囲気だな、と茶化すように言う。彼は肩を竦めて小さく笑った。
「そんなんじゃない。俺はいつでも客人だ」
「いらっしゃい、ファリアさん、コリンズさん!」
 彼の肩の向こうからジョージの嬉しそうな顔が覗く。俺が前足を振るとジョージも振り返してくれた。ファリアの友達はそんなジョージを顧みて微笑み、ジョージは照れくさそうに口許を緩ませる。赤らんだ彼の頬はいつもかわいい。だからこそ彼を悲しませるようなことをピーターにしてほしくない。
「ジョージ、ピーターは?」
「奥で包丁を研いでるよ」
「「!!!??」」
 俺とファリアが驚きに絶句するのが同時だったのは、彼が息を飲む音でわかった。いきなりのジャブにファリアはなんと返していいのかわからないみたい。それは俺も同じだった。
「いつもお願いしてるんだよ。すごく上手なんだ」
「へ、へー……そうなんだ……」
「ほ、本当に何でもできるな、あいつは」
 ファリアの言葉にジョージがはにかんで頷く。
 そうして俺たちはリビングにお招きされた。俺はソファに落ち着いたファリアと別れて、キッチンに向かう。キッチンテーブルの上では確かにピーターが包丁を研いでいた。
「ピ、ピーター、こんばんは」
「コリンズさん、こんばんは」
 シャ、シャ、と彼が包丁を研ぐ音が静かなキッチンに響いていて、まるでこないだファリアと一緒に観たホラー映画みたいでどきどきする。どうして彼はあんなに怖い映画を平気で観られるんだろう。俺は怖いよって言っていつもファリアの懐にもぐり込んでいる。
 それは今は置いておいて!
「ねえ、ピーター、もしかしてその包丁で」
「血が出るやり方は一番最初に排除しました。ジョージに嫌疑が掛かるような方法で手を下すことはありませんから安心して」
「安心できないよね!?」
 それ以外のやり方で殺るってことだろ!? 俺が騒ぎかけたところでジョージがキッチンに現れた。ピーターがひょいと顔を上げて微笑む。
「ジョージ、できたよ」
「ありがとう! ピーター。君は本当にすごいね」
「君がやると危なっかしいからね。前に指を切っちゃっただろ」
 ジョージは眉を下げて困ったように口の端を上げている。テーブルを渡ってぴょんとジョージの前に立ったピーターが前足を伸ばすと、ジョージはそっとそれを取った。
「君には俺がいるんだから」
「……うん」
 それじゃあディナーの準備の続きをしよう。そう言って一人と一羽は作業を再開する。料理をするのは、実は主にピーターの役目だ。ファリアの友達呼んでこようか、と俺が言うと、ジョージが振り返って首を振った。
「彼もお客さんだから……コリンズさんもゆっくりしててよ」
 俺はすごすごとキッチンから退散する。でも、ジョージと一緒にいればとりあえずピーターがおかしな真似をすることはないだろう。
 リビングに戻ると、ファリアと友達が深刻そうな表情でひそひそ会話をしている。キッチンから出てきた俺に気づいたファリアが腕を広げてくれるので、俺は三段ジャンプで彼の胸に跳び込んだ。
「コリンズ、もう既に何度かやり合ってるそうだ」
「何を?」
「交戦」
「えっ」
 俺が慌ててファリアの友達を見ると、彼の鼻筋に、先ほどは気づかなかった赤い線がある。長いシャツの袖を捲った彼の腕にもいくつか赤い線。
「うわあ……」
「あの子の前じゃおとなしいから、単純に俺が邪魔なんだろう」
 彼もわかってはいるようだけれど、その通りです、とは俺には言えなくて思わず俯いてしまう。
「気持ちはわかる。俺にあの子を取られやしないかと心配なんだろう。俺はあの子も、あの子の友達のことも大切にしたいと思っているが、それは俺の自己満足だ。言葉にしたところで伝わるものか」
 それに、とファリアの友達はぽつりと寂しそうに呟く。
「俺はいつでも客人なんだ」
 さっき、ジョージが言っていた言葉を俺は思い出す。彼もお客さんだから。
「……正直、俺だってなれるものならウサギになりたい」
「よし、そこまでだ。待て待て待て、うん、わかった。まずわかった」
 ファリアの大きな手が友達の肩をさする。彼はぎゅっと深くしていた眉間のしわを少しだけほどいて、俺とファリアとを見た。
「いいやり方があるなら教えてほしい」
 俺はファリアを見上げる。友達の切ない表情は、彼の心も打ったらしくて、ファリアは神妙に頷いた。
「力になる」
「ありがとう」
 そうと決まれば作戦会議、といきたいところだったけれど、そこでジョージとピーターが料理とワインを持ってリビングに現れたので、一度その場は散会となった。

 ピーターの作った料理は、白身魚のパイもサラダもクリームスープも本当に美味しくて、ファリアのワインも進むからふにゃふにゃ笑っている彼を見られて最高だった。だけど、この様子だと今日中に作戦会議の続きをするのは無理みたい。ファリアと友達がおしゃべりしている間、ピーターが外の貯蔵庫からワインのお代わりを持ってくるからと席を外している隙に、俺は一人でテラスにいるジョージに近寄った。
「ジョージ、今日は本当にありがとう」
「僕は何にもしてないですよ。ほとんどピーターのおかげ」
 悲しそうに微笑む彼に俺は首をかしげる。ジョージは俺を膝に乗せると、口許をもごもごさせ、それから言った。
「僕、そんなに頼りないかな。ピーターはいつも俺がやるよって言ってくれるけど、僕だって本当はピーターの役に立ちたいのに」
「ジョージ……」
 すん、と鼻を鳴らすジョージに俺は前足を伸ばす。ジョージはそっと俺の前足を握ってくれた。
「こんなんじゃ、ピーターも、あの人も、僕と一緒にいてくれるのが申し訳なくて」
「君がそういうふうに思うことない。ピーターもあの人も、君が好きだから君と一緒にいるんだよ」
「僕が僕を好きじゃないのに、誰が僕を好きになってくれるんですか」
 言葉に詰まる俺の視界に、ワインを持ってリビングに戻ってきたピーターが現れる。彼はジョージと俺とを見て、勢いよくテラスに跳んできた。
「どうしたの、何の話をしてるの?」
「ピーター、何でもないよ。僕らおしゃべりしてたんだ。最近の都会はどうだって」
「そうなの、コリンズさん」
 頷く俺にあからさまにほっとしたような様子のピーター。ジョージは俺を膝から下ろすと、トイレに行ってくるね、と言ってリビングに入って行った。
「ねえ、ピーター。君は少し過保護だよ。ジョージにもいろいろさせてあげるべきだ。彼は何でもできる人だよ」
「何でもできる人が、こんな森の端っこに一人ぼっちでいるんですか」
 そう言われると何も言えなくなってしまう。何でもできるならわざわざこんな街の外れの森の端っこにいる必要なんか一つもないんだ。俺たちはジョージがここに一人ぼっちで暮らしている理由を知ってる。でも――だから――ピーターがジョージの傍にいることも、あの人がジョージの傍にいることも嬉しいのに!
「コリンズさん。実は、この森の奥に毒キノコを見つけたんです」
「えっ? 何? 毒?」
「真っ赤に燃えるキノコです。こないだそれを食べたらしいイタチの死骸を見つけて……」
「ちょっと待って。だめ、だめだめ、絶対だめだよ」
「そうですね。危ないから近づかないでください」
「君もだよ! ピーター!」
「僕は近づきませんよ、そんな危ないもの。ジョージにも伝えてあります。ファリアさんにも伝えておいて」
 彼らは森に入ったりしないよ、俺が言う前にピーターはリビングに戻っていって、持ってきたワインをファリアに差し出していた。とてもにこやかに。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。俺の心臓がばくばくして言うことを聞かない。ファリアがソファ越しにゆっくりテラスにいる俺を振り返り、その指先でちょいちょいと誘う。俺は彼の膝に跳び乗り、その顎に鼻先を寄せた。とても酒臭くて、悲しくなってしまった。


 ◇


 夜、すっかり寝入っているファリアの唇にちょんと口づけて、俺は一つ頷いて胸を張り立ち上がった。
「真っ赤に燃えるキノコなんて、森のどこにあるんだろう……」
 呟いて俺は首をひねる。でも、ピーターも見つけたのだし、走り回ってればいつか見つかるかな。俺はファリアに気づかれないように静かに窓を開けて、バルコニーから屋根と木の枝を伝って地面に降りた。それから、ウサギの勢いでダッシュする。
 森に飛び込んだ俺は奥へ奥へと進み、縦横無尽に跳び回って真っ赤に燃えるキノコを探した。森の動物たちに訊こうと思ったのに、寝静まっているのか姿が見えない。
「やあ、都会のウサギさん。こんな夜更けにどうしたんだい」
 そのとき、頭上の枝に留まるフクロウに尋ねられて、俺は立ち止まった。見上げると、彼の円盤みたいな顔とまあるい目が俺を見下ろしている。
「やあ、森の賢者さん! 俺を食べないでくれてありがとう。実は真っ赤に燃えるキノコを探してるんだ。あなた、どこにあるか知ってる?」
「もちろん知っているよ。その先の洞窟の傍にある立ち枯れの木の根元さ。変な異物が住み着いてしまって困っているんだ」
「俺が何とかするよ。ありがとう!」
 ぴょんと跳び出す俺の長い耳に、素前足では触らないようにね、と理知の声が届いた。
 フクロウが示した方角へ少し進むと、やがて洞窟が見えてきた。そうしてきょろきょろと周囲を見回す俺の目に、木々の間から漏れ出た月の光に照らされた立ち枯れた木の根元に赤い何かがあるのが見える。近づくとそれは、人の指のような形をしたよくわからないものだった。だけど俺はすぐに気づいた。これが真っ赤に燃えるキノコだ。
 俺はその辺の草むらから木の枝を探してきて、それで真っ赤に燃えるキノコをちょんとつついた。うええ、よくわからない感触。
 さて、これをどうしたらいいんだろう。直接触って掘り出して捨てることはできないし、木の枝で地道につぶしていくしかないのかな。それで穴を掘ってそこに掃き捨てていけば多分大丈夫だろう。よし、と俺が気合を入れて木の枝を握りしめたとき、長い耳に草を踏む音が聞こえてきてどきっとした。振り返ると、木立の向こうに月の光に照らされて伸びる二つ分の影が見える。俺は慌てて立ち枯れの木の影に隠れた。木立の向こうから姿を現したのは、ピーターと、ファリアの友達だった。
「こっちです。あれ」
 ピーターが俺の隠れている立ち枯れの木を指さす。ああ、やっぱり……。俺の悪い予感は的中してしまった。ピーターはここであの人を殺す気だ。
「……すごい見た目だな」
「そうでしょう。でも、美味しいんだそうです。ジョージに食べさせてあげたくて」
 なんて嘘をつくんだ! ピーター、君はそんなに悪いウサギじゃないはずだ。俺の腹の底から悲しみが込み上げてきて、彼らが近づく前に立ち枯れの木の前に躍り出た。俺の姿に、彼らは一様に驚く。
「コリンズさん!」
「ファリアの……」
 俺はめいっぱいピーターを睨んだ。握りしめた木の枝で、どれだけ戦えるかわからないけど、でも俺は彼を止めなくちゃならない。友達として、ウサギとして。
「このキノコは毒キノコだよ。ピーター、知らなかったのかい? 危ないから、近づいちゃだめだ」
「…………」
 ピーターもまた俺を睨んでいる。困ったような表情のファリアの友達は、俺たちを交互に見て、それから首をかしげた。
「君はここで何を?」
「さっき、このキノコのことをフクロウに聞いてね。それで、誰かが間違えて採っちゃう前に処分してしまおうと思って。素前足で触れないから大変だけど、ここは俺に任せて」
「…………こんな夜に?」
 低い声が、そう言う。俺はどきりとした。
「都会から来たウサギの君が?」
 ファリアの友達は、ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ踏み出す。ピーターは俯いたままその場から動かない。
 なるほど、と彼はささやくように言った。俺は木の枝をもう一度握りしめ、それからこっちに近づいてくるファリアの友達にその切っ先を向けた。
「こっちに来ないで! 危ないからね」
「悪いが、そこをどいてほしい。どうやら俺はそれを採らないといけないようだ」
「危ないって、言ってるだろ!」
「そんな小さな体と細い木の枝で、俺にどうしようと?」
「ぴ、ピーターに負けてばっかりでぼろぼろのくせに! 俺はピーターより強いよ! ピーターより体も大きい!」
 ファリアの友達が目を細めるのがとても怖い。月の光を背に受けて、逆光に照らされて、らんらんと輝くその目が怖い。無表情は怖い。笑ってほしい、冗談だと言ってほしい、俺は一人と二羽で何にもない顔をして、ファリアとジョージがぐっすり眠っているあの森の端っこの家に帰りたい。
 すぐ近くで鳴る草を踏む音を聞いて、思わず涙がこぼれた。
「こ、来ないでってば……」
「ピーター」
 ファリアの友達が口を開く。
「このキノコを採れば、俺は君たちの傍にいられるのか?」
 彼の足の隙間から、はっと顔を上げたピーターが見えた。
 大きな手が伸びてくる。俺は必死で木の枝を振るったけれど、簡単に避けられて、弾き飛ばされてしまった。
「うわあっ!」
「乱暴な真似をして悪いな」
「構わないよ、俺もするからっ」
 ぴょんと跳び上がった俺は、彼の顔面に向かってキックを繰り出す。かわされた! 反射神経いいなこの人っ! でも俺も負けないから!
 とにかく彼をこの場から引き離したくて、俺は彼の腹や胸許に向かって跳び上がりキックしまくる。そのたび彼は寸でのところで避けてしまうし、俺を掴もうとする手を避けるのにも俺はせいいっぱいだ。ピーターと戦って顔や腕にあんなに傷をつけられていた人だとは思えなくて、俺はゾッとした。もしかして彼はわざと――いや、そんなこと、気にしている場合じゃない!
 何度かの攻撃のあと、着地した俺は、ぜいぜい言う喉でごくりと唾を飲み込んで、彼の足に向かって頭突きした。不意を突かれてたたらを踏んだ彼が、この、とくらくらしている俺の体を掴み上げる。しまった!
「っ、俺は、君を傷つけたくない、君を放り投げたくない、なぜなら君は俺の友人の大切なウサギだからな。どうしたらいい?」
 脇の下を掴み上げられてうんと腕を伸ばされてしまったから俺のキックは届かない。くそー! 腕も足も長くてよろしいことだね!
「ど、どうしようもないんじゃない!? 俺と戦って、俺を倒すしかないね!」
「違う、君が諦めてくれればそれで済むんだ」
「そ、それであなたが傷ついてっ、死んで終わり!? ピーターはっ、これからもジョージと一緒にあの家で二人ぼっちで暮らすの!? さ、最高のハッピーエンドだなあ! 涙が出るよ!」
「もう泣いてる」
 彼の静かな声で言われたとき、俺は全身から力が抜けてしまった。だらりと重力に従ってぶら下がる俺の後ろ足と、目からぼろぼろ落ちていく涙。そっと地面に下ろされて、俺は膝からくずおれた。俺の横を長い足が渡っていく。
 ファリア、助けて。俺は一羽じゃ何もできないただのウサギだ。
「ファリアあ……」
 彼の名前が口からこぼれたとき、目の前を俺より小さな影が横切った。
「……ピーター?」
 不思議そうな低い声に俯いていた顔を見上げると、ピーターが彼の足に取りついて、二本の前足でしっかと掴んでいる。
「コリンズ!」
 俺の長い耳に、大好きな声が聞こえた。振り返った木立の向こうから、二つの人影が走って来るのが月の光に照らされて見える。ファリアとジョージだ。その姿が大きくなるほどに、ファリアが手に何かを持っているのがわかる。あれは……何だ……バーナー?
 走り抜き様に俺を片手で抱え上げたファリアは、友達の前に立って彼を制するようにバーナーを差し向ける。ファリアの友達は瞠目したけれど、すぐに彼の足許に目を向けた。俺たちに辿り着いたジョージが、ピーターの小さな体を抱え上げて、それから彼の背中に寄り添う。
「どうしてここへ……」
「フクロウが教えてくれたんだ。ねえ、お願いだよ、こんな夜に君たちだけで森の奥へ行かないで。行くなら僕も連れてってよ」
 一人で置いていかないで――ジョージはそう言って、ファリアの友達にぎゅっと抱きついた。ジョージ、とピーターの掠れた声がする。
「よし、離れてろ、お前たち。煙や灰にも毒があるそうだから。コリンズ、俺のポケットからタオルを出してくれ」
「え? あ、うん、わかった」
 腕に抱えられたまま腰のあたりまで下ろされて、俺はぐいぐいとファリアのポッケから見えていたタオルを引き抜く。それからファリアの頭の上に乗って、彼の顔の下半分を隠すようにタオルを被せて端っこを結ぶと、ありがとう、と言われたので俺は嬉しくなってしまった。思わず頭の上からおでこにキスをすると彼は呆れたように眉を下げて、後でな、と笑い声で言った。
「悪い、コリンズのことも預かっててくれ」
 そうして俺はファリアの友達の腕に渡される。目を見合わせた俺たちは気まずくなってお互いに目を逸らした。さっきまで戦ってたのに、変な感じだ。
 ファリアは真っ赤に燃えるキノコと十分に距離を置いて、真っ直ぐ伸ばした腕の先のバーナーでキノコに火をつける。立ち枯れの木の根元、その虚を背に、月の光が薄く射し込む暗い森に赤々と輝く火が本当にきれいで、怖かった。真っ赤に燃えるキノコはもっと真っ赤に燃えていく。俺は、俺の大好きな友達があんなふうになってしまわなくてよかったと、心の底から思った。

 本当にごめんなさい。ピーターはそう言って、ソファに坐るファリアの友達の腕にそっとおでこをすり寄せた。ファリアの友達もピーターの頭を撫でて、いいんだ、俺も悪かった、と答えた。
「ジョージを独り占めできる君に嫉妬していた」
「俺は、あなたにジョージを取られたくなかった」
「どちらも素直でよろしいことだな」
 和平交渉を積極的に推し進めたかったファリアと俺は、心を開き合う一人と一羽に満足だ。だけどジョージは困った様子で、彼らを交互に見ている。そのことに気づいたピーターはぴょんぴょんとジョージの膝に跳び乗ると、彼の胸許に前足を置いた。
「ジョージ、君のこと、俺は縛りつけてたんだ。俺さえいればいいなんて、そんなの、ひどいよな……」
「ピーター……」
「彼とのこと、本当はちゃんと、素敵だねって言いたいんだ。でも……」
 俯くピーターにジョージは切なそうに眉を寄せる。
「……俺はここを出て行くよ。今まで、本当にごめん」
 ぽろりと涙をこぼしたピーターをジョージは抱きしめる。はっとピーターが息を飲む音が聞こえた。
「行かないで」
「…………ジョージ。だめだよ」
「いやだよ。行かないで。僕は君たちと一緒にいたいんだ。わがままでごめん、でも……」
 いつかこの家を笑って出て行くことができるまで。
「……君たちに、手料理を振る舞うって決めたんだよ。君みたいに、上手にはできないけどさ」
 泣き笑いのジョージがそう言うのに、ピーターはこつんとジョージの胸許におでこを寄せる。
「……楽しみだな」
「へへへ、そうでしょう? 君から教えてもらうこと、たくさんあるんだから」
 ジョージはピーターをひょいと抱えると立ち上がって、ファリアの友達の隣にすとんと腰を下ろした。そうしてそっと彼の肩口におでこを寄せる。ファリアの友達の、戸惑っていた両腕が、ピーターごとジョージを抱きしめた。
「……これからも一緒にいてくれる?」
「……ウサギじゃなくてもいいのか?」
「ウサギは俺だけで十分だよ」
「…………」
 早速軽口をたたくピーターに、ファリアの友達は口許をもごもごとさせて、それからぐいと彼のおでこを撫ぜた。
「なまいきだな」
「知ってたでしょ?」
 鼻を鳴らすピーターに、おかしそうに笑うジョージ。ああ、と答えるファリアの友達の笑顔は、本当に嬉しそうだった。


 ◇


 それから、街の外れの森の隅っこのジョージの家に遊びに行くたびに、ジョージは彼の手料理を振る舞ってくれる。もちろん、ピーターやファリアの友達も手伝ってね。最初は砂糖と塩を間違えるなんて最高なケアレスミスをしていたけど、今ではすっごく美味しい料理を作れるようになった。ジョージはたくさん笑うようになった。それに、ジョージが嬉しそうだとピーターとファリアの友達も嬉しそうだし、友達が嬉しそうにしているからファリアも嬉しそうだし、ファリアが嬉しいと俺も嬉しい。
 ジョージの家に遊びに行ったときは、時々、俺とピーターは森に住むたくさんの動物たちと一緒に森のなかをパトロールする。危険な植物が生えていないか、おかしなことが起こっていないか、きっちり見て回らなくちゃいけない。変だなと思ったことはちゃんとファリアやジョージやファリアの友達に伝える。もう二度と、誰も悲しい思いをしないように。
 血のように、火のように、真っ赤に燃えるキノコはあれから姿を見ない。