僕はピーターのいとこが苦手だ。彼の名前はヒュー。普段はブリストルに住んでいて夏休みと冬休みになるとウェイマスに遊びに来る男の子で、去年セカンダリースクールに上がったと言っていたから今は十二歳だと思う。さっき、となりのピーターんちにヒューの一家が到着したのを窓から見かけたんだけど、彼の身長はもうそろそろドーソンさんに追いつきそうだった。ってことは、僕の身長もそろそろ追いつかれそうってことだ。嫌だな。彼に負けている要素が増えてしまう。どうして僕の身長は十六歳で止まっちゃったんだろう。
 僕がヒューを苦手ってことは、ヒューも僕が嫌いってこと。なんでわかるかって? 本人から言われたからだよ。それもご丁寧に、ピーターがトイレで席を外している隙にね。去年の冬休みだった。ピーターはせっかく僕がブリストルから遊びに来てるのに、いっつも君も遊びに誘う。僕がピーターと二人で遊びたいって言ってるのに、二人でゲームしてるときも君からテキストが来るとすぐモバイルに向かっちゃう。だから僕、君のことだいっきらい。ジョージ、僕が来てる間は、ピーターにテキスト送んないで。僕がいないときはいっつも一緒にいられるくせに。
 そのとき僕が内心で叫んだ、このわがままの一人っ子め! っていう台詞は、そのままブーメランになって僕に刺さったので二度と考えないようにがんばってる。腹が立ったけど何も言い返せなかったし、ヒューの気持ちも理解できてしまって僕は、わかったよ、ってしゃがれ声で返事するしかなかった。でも、バスルームから戻ってきたピーターが真っ先に僕を見て、どうしたの? って訊いてくれたから僕は胸がすっとしてしまった。僕だって、ピーターと二人で遊びたいんだ。ちょっとざまあみろってヒューに対して思った。ヒューはピーターの肩の向こうで口を尖らせて僕を睨んでた。
 そもそもヒューは僕より五歳も年下の、まだセカンダリースクールに通っている生徒なんだ。大都市に暮らしていて少しませてるとはいえ、僕よりも全然子供。そんな相手に対してむきになるなんて、カレッジに通う十七歳のやることじゃないよね。ピーターだってもう働き始めて慣れない仕事に四苦八苦しているから、ヒューが遊びに来てももう去年よりは彼と一緒にいる時間も持てない。せいぜい朝晩のご飯を一緒に食べるくらいで、一週間もすればヒューはご家族と一緒にブリストルに帰る。そして彼は少しずつ大きく成長していくし、もう一年か二年もすれば地元の友達と遊ぶことに夢中になって、ウェイマスに来る機会もあまりなくなるだろう。いつかきっとヒューにも他に好きな人ができて、そしてそれはピーターじゃないし、ピーターを好きだった自分のことは子供のころの思い出になっていく。だから、今くらいは僕はヒューにピーターと過ごす時間を譲ってやってもいいんだ。だって、僕はずっとピーターと一緒にいられるからね。
 僕のほうから譲ってやってるんですよ、っていう優越感に鼻を鳴らし――待てよ、これも年下に対してやることじゃないな――僕がテーブルに向かって本を拡げると、モバイルがピーターからの着信を告げた。うわ、どうしよう。ヒューがすごい顔でモバイルを睨んでいるのが想像つく。でもピーターからの電話に出ないっていう選択肢は僕にはない。
「もしもし?」
『やあ、ジョージ。今家にいる? ヒューが遊びに来たんだよ。よかったら君も来ない?』
「あー……」
 ヒューは僕からピーターへの連絡を牽制したけれど、ピーターから僕への連絡のことは考えなかったのかな。でも、ちょっと考えたらわかることでしょ? ピーターは優しくていい人で、そして何より僕のことを好きでいてくれる。ヒューもそれを知ってるから僕にまるで宣戦布告みたいなことを言ったんだ。そして僕は別に負けたわけじゃない。
「ううん、ちょっと、勉強しないと」
『そ? ならさ、後で会える? あ、でも明日泊まるし……』
「……ううん、今日も会おうよ。カフェまで散歩しない?」
 僕の口許はにまにまする。ピーターの、うん、って嬉しそうな低い声が僕の耳をくすぐって、僕の心臓はどきどきしてあたたかくなる。じゃあ勉強終わったら連絡ちょうだい、ってピーターが言うから僕は大義名分を得て、たっぷり三時間勉強をがんばってから夕暮れにピーターにテキストを送って、二人で駅より向こうの通りにあるカフェまで散歩に出かけた。ヒューはいいの、って訊くと、晩ご飯の用意を手伝ってる、と返ってくる。ふうん、じゃあ今日はピーター、ヒューの作ったご飯を食べるんだ。……別にいいけどね、明日は僕ら二人でご飯作って食べるんだし。
 のんびり歩くと家から二十分かかるカフェで、僕らはやっぱりのんびりメニューを選ぶ。ピーターはアイスハニーカフェオレを頼んで、僕はアイスミルクティーにクリームを乗っけてもらった。僕らはときどき、僕がピーターの好きな飲み物を、ピーターが僕の好きな飲み物を注文する。ピーターがいたずらっぽく笑って、ちょっとちょうだいよ、って言うのが好きだ。
 帰り道は行きよりももっと時間をかける。浜辺に寄り道をして、夕焼けを見ながらぼんやりするピーターの横顔も大好き。でもじっと見ているとそのうちピーターがくすぐったそうに唇をもごもご動かして、気づいてないふり、をする。僕もにやにや笑いながら気づかれてないふりをするんだけど、いつもピーターが先に折れて、僕を振り返って唇の端っこにキスをくれる。
「クリームの味」
「うん、あすこのクリームおいしいよね。ピーターははちみつの味?」
「どうかな。試す?」
 目を細めるピーターに僕は嬉しくなって頷いて、彼の唇にちゅうっと口づけるんだ。そうするとピーターは舌で僕の唇を軽く舐める。はちみつの味とカフェオレの味がいい感じに混ざり合って、湿った舌先の感触がいやらしくて気持ちいい。
 顔を離したピーターの輪郭が夕日の色で真っ赤に染まっていて、くるりとまあるく上がった口の端、その真剣な表情がすごくセクシーで、僕はもっともっとピーターのことが好きになる。ピーターも、もっと僕のことを好きになってくれたらいいのに。
 家に着いた僕たちは名残惜しく別れて――となり同士だし明日は僕んちにピーターが泊まりに来るけど――自分ちの玄関に立って僕を見送るピーターに手を振ったら、視界に入った窓の向こうにヒューの姿が見えた。当然だけど彼は僕を睨みつけて、それから窓の向こうからいなくなる。すぐにピーターんちの玄関のドアが開いた。
「ピーター! お帰り」
「ああ、ただいま、ヒュー」
「もうご飯できてるよ」
 ピーターは彼の肩くらいまで身長の伸びたヒューの頭をくしゃくしゃ撫でてピーターは笑う。ヒューも嬉しそうに笑ってる……
 じゃあね、と言って僕は駆け足で家に入った。あ、また明日ね、とピーターが僕の背中に返してくれたけど、僕はわざと、また明日、って言わなかったんだ。だって、明日また僕らが会えることをヒューには知られたくなかったから。
 家に戻ったら父さんと母さんがすっかり明日の準備を終えて旅行鞄やら何やらを玄関の脇に置いているところだった。おかえり、って言う二人に僕は、ただいま、って返す。さっきのピーターとヒューを思い出した。僕にもいつかピーターに、おかえり、って言ったら、ただいま、って返してもらえる日が来るのかな。

 ――なんて考えてたら、その日はすぐに来た。確かにピーターは、仕事が終わったらまっすぐに僕んちに来るよって言ってたけど、まさかノックされた扉を開けたら照れくさそうに笑って、ただいま、って言う彼がいるなんて。びっくりした僕に彼は恥ずかしそうに目を逸らしたり俯いたり挙動不審で、恥ずかしくなるくらいならしなきゃいいのに、なんて思わないよ。僕は大きな声で、おかえり、って言うんだ。
 僕らは二人して晩ご飯を作って、二人だけでそれを食べる。すごくおいしかったし、楽しかった。最初はダイニングテーブルのどこに坐ろうって話もしてたけど、結局向かい合わせで落ち着いた。これまでだってお互いの家や街のカフェで一緒にご飯を食べたけど、本当に僕ら二人っきりでご飯を食べたのは初めてですごく緊張する。変な食べ方になってないといいけど、ピーターが嬉しそうに笑って、おいしくできたね、って言うから僕は舞い上がって、気にしようって思ってたこと頭のなかから全部飛んでしまった。
 後片付けも二人でやって、お風呂に入るまではリビングでのんびりする。ピーターが持ってきたタブレットでオンデマンドサイトを物色しているのを横から覗き込みながら、あれがいい、これもいいって言ってるだけなのに、いつも坐る家のソファがずっと特別になった気がして、僕は嬉しくてどんどんピーターに擦り寄った。時計を見たらまだ八時だったけど、僕はピーターの首筋に鼻先を寄せてキスをする。そしたらピーターはくすぐったそうに笑って、こら、って言いながら僕の前髪に口づけを落とした。そのままずりずりとソファの背もたれからずり落ちて仰向けになるピーターに僕はのしかかるみたいに覆い被さる。いつも見下ろされてるから、ピーターに乗っかると彼の顔をこうやって真正面から見下ろせるのが好き。ピーターはすごく格好いい顔つきで、もうお風呂入って寝よっか、と言う。僕は頷いた。だって、待ちに待った二度目なんだもん。もちろんお風呂は二人で入ったし、ベッドにも二人で入るんだ。
 ――あのさ、言っておかなきゃいけないなって思うんだけど。
 ピーターが唐突にそう言った。もう一度二人してシャワーで汗を流した後、水を飲んだ唇が色っぽいなって僕がうっとり見とれていたとき。
「ヒューに……キスされたんだよね」
「はっ?」
 なんだって??? ピーターはばつの悪そうな顔をして、昨日の夜にさ、って言う。もちろん詳しく聞かせてもらった。すっかりピーターが眠っていた昨日の夜、部屋の扉が開いた気がして覚醒した彼は、それでも連日の慣れない仕事で眠くて眠くて目を開ける気にはなれなかったんだけど、少ししてから唇にやわらかい感触がして、それから、ピーター、ってヒューの小さな小さな声が聞こえたんだって。びっくりした彼が動けないでいるとヒューはピーターの頬にもう一度キスをして、ばたばたと部屋を出て行ったらしい。人が寝てるところにこっそり忍び込んでばたばたするって――そこは問題じゃないんだ! 問題だけど! あいつめ、ついにやりやがったな! 僕はめちゃくちゃな気持ちで頭がいっぱいになった。
「期待させないようにしてたつもりだったんだけど……」
「ピーター、君は優しいからヒューだって、……ん? え?」
 お節介を言おうとした僕の耳にピーターのため息と、なんだか意外な言葉が聞こえる。ぱちっと瞬いた彼は、裸の肩にタオルをかけて麻のパジャマのボトムスを履いただけの格好なのに、すごくかわいくいとけなく見えて僕はまたどきどきしてしまう。
「期待させないようにって?」
「だって、俺が好きなのは君だ」
「…………」
 僕の顔は真っ赤になる。さっきまでたくさん言われたし、僕もたくさん言ったけど、改めて言われるとすごく嬉しくて照れくさい。ピーターを見ると彼も耳まで真っ赤にしてる。もう、だから、恥ずかしくなるくらいなら言わなきゃいいのに――なんて、思ってないよ。
「ねえ、ヒューが君のこと好きなの、知ってたの? もしかして言われた?」
 ヒューは、僕に嫌いだと言うみたいに、ピーターに好きだと言ったのかな。ピーターは首を振ったけど、なんとなくそうかなって思ってた、と小さな声で呟く。
「なんとなく、目線とか、あとよくくっついてきたりとか……ヒューと遊んでるときは、ジョージと連絡取らないでって言われたし」
 あ、それは言われたんだ。
「でも俺はヒューの気持ちには応えらんないからさ。知らないふりするし、君にもテキストするよ。君も、遠慮しないで連絡して」
 僕は、頷いた。ばれてたんだ。
 勉強しなくちゃいけないのは本当だけど、ヒューにピーターと一緒にいられる時間を分けてあげるんだって思ってた。だって僕はヒューの気持ち、わかるから。我ながら傲慢で残酷なことをしてると思う。だって結局ヒューの気持ちは叶わない。僕はピーターにキスしたら応えてもらえるし、抱きしめてもらえるし、傍に寄ったら笑ってもらえる。
 ピーターがペットボトルの水を呷る。そのしなやかに伸びて上下する喉に僕はさっきたくさんキスをして、ピーターも僕の体にたくさんキスしてくれたんだ。
 いつかちゃんと、ヒューのピーターを好きな気持ちが思い出になるといい。

 翌日、ヒューが僕んちに遊びに来た。ドーソンさんから、ピーターはジョージの家に遊びに行ってるからお前も行ってみたらどうだ、って言われたんだってさ。父さんと母さんが帰ってくるまでまだたくさん時間があったからもっとピーターと二人で遊べるはずだったのに、ドーソンさんは優しい人だけどこういうときにまで優しくなくていいのに。でも、ヒューが持ってきたグランツーリスモで、三人で交代しながら二人対戦をするのがすごく楽しかったのは本当だ。ヒューはまだ車に乗れないのにすごく上手で、ピーターはもう車に乗ってるのに下手くそだった。
 そのうちピーターがトイレに立って、僕はヒューがさっさと始めてしまったシングルプレイの画面を横で見ているだけになる。ちゃんとした名前はわからないけど、アストンマーティンの流線型のスポーツカーがコースを滑るように走っていく。まるでブレードランナーに出てきそうな見た目だ。ヒューの前を走っている車は一台もない。迫力のあるドリフト、きれいな加速。黒いボディは風になって、伸びやかにゴールを目指す。
「ねえ、僕にもやらせてよ」
「嫌だ」
「なんでさ」
「……嫌いだから」
 わかりきっていた答えだったからため息も出ないけど、僕はわざと口を尖らせる。別にヒューがこっちを見ているわけじゃないけど。
「あのさ、君がピーターのこと好きなら、僕を仲間はずれにするのは得策じゃないと思う」
 僕が言うと、なんで、とヒューのぶっきらぼうな声。話を聞いてくれるつもりはあるみたい。
「だって、僕がピーターに、君が僕のこと嫌いだから除け者にするんだって言ったらどうするの? ピーターはきっと君のことよく思わないよ」
「君が言わなきゃいいだけだろ」
「僕が言わなくてもピーターは……君が好きなピーターは、もう大人で頭がよくて察しもいいんだから、すぐにわかる。そしたら君は悪者だよ。ピーターに嫌われたくないだろ」
「ピーターは僕のこと嫌わない」
「どうかな。わかんないよ。いつ何が起こるかわかんないじゃない。僕だっていつピーターに嫌われるか知れない。だからさ、君の好きな人の友達には優しくすべきだよ」
 もちろんそんな日は来てほしくないけど、十七歳の狡っからい僕はぺらぺらと口を動かしてみせる。普段そんなに回らない口だから、なんだか唇の両端とあごの付け根あたりに違和感を覚える。ヒューはちらっと僕を見て、また画面に視線を戻す。彼は何も答えなくて、画面のなかのアストンマーティンだけがひたすら後続を引き離してすごい速さで周りの景色を吹き飛ばしていく。きっともうすぐゴールだ。僕が努めて何事もなかったように、終わったら二人対戦しようよ、とコントローラを持ったとき、ピーターが部屋に戻ってきた。
「どっち勝ってる?」
「ううん、ヒューがシングルしてる」
「なんだよ。あ、お前アストンマーティン好きだよな。なんだっけ? ビジョン……?」
 僕らが背もたれにしているベッドに腰を下ろしたピーターが言うのに、ヒューは――ピーターには見えないけど――嬉しそうに笑って、アストンマーティンDP-100ビジョン・グランツーリスモ、と早口言葉みたいなことを言った。
「ピーター、覚えてたの? 6のときに出たやつだよ」
「うん、兄さんと一緒にはしゃいでたもんね」
 グランツーリスモ6が出たときってヒューはまだ八歳とかじゃ、ってそわそわする僕を気にも留めず、ヒューは饒舌に喋りだす。
「インフィニティとかプジョーのグランツーリスモも格好よかったけど、僕はやっぱりイギリス国民だから。アストンマーティンでぶっちぎってやるんだ。オンラインで優勝したときは最高だよ、たまにメッセージももらうしね」
 いいのも悪いのも、と得意げにのたまうヒューの世界は、僕のそれよりもずいぶん広いみたいだ。こないだはドイツの人と喧嘩した、なんて事もなげに言ってみせる彼は危なげで、僕とピーターの目が思わず合う。
「あんまりオンラインで人に喧嘩売るなよ……」
「売ってない。ちょっと言い合いになったくらいだし、レースは五勝五敗だった」
 口答えするヒューの頭をピーターは小突くように撫ぜる。やっぱりヒューは嬉しそうに笑っていて、それからまた揚々と呪文みたいな言葉たちを語りだした。僕にはわからない単語がたくさんあるのにピーターはいちいち相槌を打って、それって何? とか、ああ、あのことか、なんて、ヒューが先を話しやすいように言葉で自然と促してみせる。ヒューのおしゃべりは止まらない。あんなにたくさんしゃべって唇の端やあごが痛くなったりしないんだろうか。
 くるりとかわいらしい口の端を上げて笑いながらヒューの話を聞いているピーターを見ながら僕は思う。君がそんなだからみんな、君に期待をするし、君を好きになるんだよ。

 それから五日後にヒューとご家族はブリストルに帰って、次の冬にはまたウェイマスに遊びに来たけれど、その次の夏休みのときは来なかった。ヒューのお父さん――ピーターのおじさんが、友達とケンブリッジに遊びに行ったよ、と言っていたそうだ。そして、ヒューはそれからウェイマスに来なくなった。ヒューどうしたのかな、ってピーターに訊いたら、好きだって言われた、って彼が言った。そんで、俺はジョージが好きだからお前のことはそういうふうに見れないよ、って答えたんだって。僕はそれを聞いてすごく嬉しかったけど、ピーターはなんだか寂しそうな表情をしていて、だから来なくなったのかな、って呟いた。僕はそんなことないよってピーターの肩を抱きしめてあげたけれど、本心ではヒューのことでそんなに気を病まないでほしかった。だって、いつかこうなるんだってなんとなくわかってたもの。いつかヒューはウェイマスに来なくなる。いつか彼はピーター以外の人のことを好きになる。ヒューの世界は僕らのよりもずっとずっと広いんだから、彼はすごい速さで僕らを置いてけぼりにするんだって。何も言わないでずっと抱きしめていたら、ピーターは僕の頬にキスをして、ありがとう、ってくるんとまあるく上がった口の端で格好よく笑いかけてくれた。僕は頷きながら、もっと彼に寄り添う。ピーターの腕が僕の背に回る感触にどきどきしながら僕は、ピーターが永遠に僕の小賢しいところに気づきませんようにって祈った。
 ずーっとずっと後のことだ。僕とピーターが街中にフラットを借りて二人暮らしを始め、僕も働き始めてしばらく経ち、お互いについてこれまで以上様々なことに詳しくなって、もうすっかりたくさんの――本当にたくさんのことに慣れたころ。カーディフに旅行に行こうという話になって、せっかく近くまで行くんだからブリストルのヒューの家に寄ろうとピーターが彼に連絡を取ったら、断られるんじゃないかって僕の予想に反してヒューは軽くオーケーを出した。なんなら泊まっていきなよ、と言うから僕らはその言葉に甘えて、カーディフをたっぷり楽しんだあとに夕暮れのブリストルに足を運んだ。
 久しぶりに見たヒューはかなり身長が伸びていて、なんとピーターの背丈まで追い越してしまっていた。今年セカンダリーを卒業するらしい彼の声はすっかり低く、顔つきは精悍になっていて、しかも僕にまで愛想よくあいさつしてくるものだから、僕の目には全然知らない人のように映る。だけど、大きくなったな、って驚いたように言うピーターに嬉しそうに笑う彼の表情は、あの日得意げに車の話をしていたヒューの横顔そのままだった。
 家にお邪魔するとそこにはヒューのご両親の他に女の人が一人いて、ヒューの恋人だよ、と紹介された。初めまして、とほっそりした手を差し出してくる彼女とあいさつを交わしながら、その容貌を見て瞬きをする。首をかしげる彼女の、オレンジ色のリップが光る口の端、くるりとまあるく上がっているのがなんだか誰かさんに似ていて――僕は思わず、口を引き結んでしまった。