第1回ワンライ参加作品(2023/02/18)
【本日のお題(このなかから1つ以上選んで書く/◎…使用したお題)】
◎大きな○○(○○は変換可能)
◎迷子
 生命の源
 時の流れ
 すがすがしい朝


 いやいやいやいや……これ迷ったな。迷ったなこれ。なんでマップアプリ見ながら歩いてるのに迷うんだ? 意味わからん。意味わからんのはマップアプリのほうもだ。この矢印いつのまにかぐるぐるしてないか? どういう挙動なのよそれは。今日初めて使ったけど絶対そういう動きしないだろこれ。
 とにかく俺は一度立ち止まって今度はグーグルマップで改めて目的地までの地図を確認することにした。聞いたこともない町の駅を降りて、行ったこともない博物館まで歩くことが、こんなに、こんなに大変か!
 はあとため息をついてあまり見慣れない色したポストに寄りかかる。何色って言うんだろうこれは……うす~い麦茶みたいな色をしてるな。こんなのもあるのか。珍しいので一枚写真に撮っておく。
 俺がこの聞いたこともない町の駅に降りたのは、そこから徒歩十分のところにある(はずの)歴史博物館で“推し”のうちひとつの展示をやっているからだった。俺の“推し”、“ランプ”と呼ばれる古い時代の照明器具のなかでも、今回はアセチレンランプという種類の照明器具がここの歴史博物館にお目見えしたらしい。なんでもこの町の旧家の蔵から発見されたらしく、展示を見終わったらそちらにも足を運ぼうと思っていたのに、これでは辿り着くまで一苦労だ。
 はあともうひとつため息をついてグーグルマップから顔を上げると、片側一車線の道路を挟んだ向かいにカフェがある。木造の白い壁に茶色の扉。ダイヤの形の窓。店先に出ているメニューボード。俺は吸い寄せられるように道路を渡ってカフェの入口を開けていた。何せ、徒歩十分の道のりをかれこれ一時間半もさ迷い歩いていたものだから。
 ころんころん、と軽やかな、木の何か同士が触れ合って鳴ったような音がする。店内はそれほど広くなく、向かって左側には壁向きにカウンターのようなテーブルがあって椅子が四席、向かって右側には二人掛けのテーブルと四人掛けのテーブルが一つずつ。その間のスペースは雑貨やドライフラワーや何がしかのフライヤーが置かれている長テーブルがひとつあって、それぞれの間は人が一人分だけ通れる隙間くらいしかない。小ぢんまりとした、落ち着いた空間。みたいなキャッチコピーで地元のフリーペーパーに紹介されてそうなカフェだ。
 客は一人もおらず、俺はきょろきょろと店内を見渡す。
「いらっしゃいませえ」
 そんなことを言いながら奥のキッチンフロアから現れたのはエプロンをつけた大きな……、……サル? 多分サルの仲間だった。
「どうぞどうぞ、お好きな席に」
「あ、はい」
 体全体と顔面、それに頭には黒くふわふわの毛でおおわれているが、顔の両サイドと背中の両サイドは白く長い毛が生えている。身長は俺よりも少し小さいくらいだったが、よくいるおサルよりははるかに大きいだろうというのはわかる。
 俺は壁に向かっているカウンターテーブルの最もキッチンフロア寄りの席に腰かけた。一人掛けの坐ったら気持ちよさそうなクッションソファになっていたからだ。背もたれに深く背をつけるとはあー……と長い息がもれる。いやもう、疲れた。歩き通しで疲れましたよ俺は。
「メニューどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 黒い毛がもふもふと生えている四本指にメニュー表を渡されて、俺はそれを受け取る。
「おサルさんのやってるカフェ初めてで」
「あ、そうなんですか? んでも確かに、この辺ではうちだけですね」
 この辺ではも何もないと思うが、メニューを開いた俺はそこに並ぶ文字列は標準的なカフェのそれと同じだなと頷く。アイスカフェオレと手作りかぼちゃプリンを頼んで、いつのまにか置かれていたお冷を一口飲み、それからおしぼりで手を拭いた。温かさが沁みた。
「どちらから来られたんです?」
「あー、山形です。市内」
「へー。新幹線で?」
「鈍行です。お金なくて……」
「あんや、長旅お疲れ様です」
 おサル店長は気さくに俺をいたわってくれてまた沁みる。ほどなくずいぶん大きなグラスに並々注がれたアイスカフェオレと、いわゆる“ビッグサイズ”と呼んで差し支えなさそうな大きなサイズのココットに入ったかぼちゃプリンが出され、カラメルの入った小さなポットが添えられた。かぼちゃプリンを一口すくって口に運ぶ。うまい……自然の甘さが沁みる……さっきからあらゆることが俺の体に沁みすぎている。
「ここ何か面白いものでもあるんですか?」
 地元民がそれ言っちゃだめじゃね? と内心ツッコみながら、当初の目的である歴史博物館のアセチレンランプの展示の話をする。俺の隣の椅子に足を抱えて腰を落ち着けた(サルっぽい坐り方でかわいい)おサル店長は「はあ」と興味なさそうな相槌を打った。じゃあ聞くなよと思わないでもない。
「ああでも、今あすこさ行くのはちょっとコツ要りますね」
「えっ」
 かぼちゃプリンをほとんど食べ終わったころにおサル店長がそんなことを言った。コツってなんだ。そんなご新規お断りみたいな経営してる歴史博物館なのか。
「地下に水脈通ってるんで、それ伝いに行けばすぐです」
「…………」
 半眼になった俺におサル店長は四本指の手のひらを向ける。
「私友達に連絡しておきますから、ここ出たらすぐ連れてってくれますから」
「え、あ、どうも。てか……そんなめんどくさいとこなんですか」
 ネットで見た“徒歩十分”とはなんだったのか、とげんなりしながらアイスカフェオレを一口飲む俺に、おサル店長も苦笑する。
「ちょっと前にそこさ飾られてる土器の娘さんが館長とけんかしたって、それ以来口聞いてくんねって拗ねて」
「…………客を巻き込まないでくれません?」
「ほんとでねえ」
 おサル店長はそう言いながらキッチンフロアに引っ込み、どこぞに電話をかけたようだった。しばらくして戻って来たおサル店長が、すぐ来るよ、と口にした瞬間に、カフェの扉がココココンと軽快にたたかれた。はいはい、とおサル店長が扉を開けた先には、えーっと確か……ゴイサギ。ゴイサギがいる。
「あ、どうもどうも」
「…………どうも」
「この人もお疲れのようだからあなたもちょっとゆっくりしてきなよ」
「んえー、わかった」
 ひょいひょいと店内に入ってきて、俺の二つ隣の木の椅子にひょいっと登ったゴイサギは、渋い表情で目を閉じる。頭から伸びる長い羽毛がエアコンの風にそよそよと揺れている。
「……すんません、もちょっとゆっくりさしてください」
「いーよいーよ」
「カフェオレお替りします? サービスしますよ」
「あじゃあ、いただきます」
 はいよ、とにこにこ笑っておサル店長はキッチンフロアに歩いていく。
 かぼちゃプリンで腹がいっぱいになった俺は、それを見送ってから二つ隣のゴイサギのように目を閉じてまたひとつ、ため息をついた。