第8回ワンライ参加作品(2023/04/08)
【本日のお題(このなかから1つ以上選んで書く/◎…使用したお題)】
◎自由な○○(○○は変換可能)
◎勝利
 求愛行動
◎レストラン
 いちゃいちゃする


「十秒前、九、八、七、…………」
 鉛筆が紙のうえを走る音が、止まり、鳴り、また止まり。
「……三、二、一、終了!」
「っだあ~~!!」
 緊張感から解放された橋谷が、俺の斜め前で途端に大きな伸びをする。俺の目の前にいる金は机のうえにだらりとへばりついた。
 偉そうな素振りで教壇に立っていた幹が「ほいほい、回収しますよっと」と俺たちのほうに手を伸ばす。俺は自分の答案を金に託して、ぐっと腕を伸ばして息をついた。
「答え合わせそんなに時間かかんないから適当にしててよ」
 今回の“企画”を持ってきた幹はそう言うと赤ペンを持って俺たちの答案に向かう。
 俺たちがやっていたのは深海生物検定という、書いて字のごとく深海生物についての知識を問う検定の練習問題である。何か面白いことがしたい、と言い出したのは俺の隣の席で携帯をチェックしている小松で、じゃあこういうのがあるよ、と提案して持ってきたのは幹だ。橋谷、金、幹、小松、そして俺、江上の五人は、この春入学した大学で知り合って仲良くなった間柄である。
 橋谷が体ごと俺たちのほうを振り向き、「俺ねえ」と得意そうな顔をした。
「自信ある。俺が勝ったら俺のお願い聞いてくれる?」
「ちょっと待てちょっと待て、後出し後出し」
 慌てて手を払う俺に金も同調する。
「先に言っとけよそーいうのは。フェアじゃない」
「だって昨日思いついたんだもん」
「何、勝負だったの」
 携帯から顔を上げた小松が言い、橋谷は「俺のなかでは」とドヤ顔をした。
「まーいいけどさ……カネかかんないやつなら……」
「あー……」
「かかんのかよ!」
 言い淀んだことで俺たちから盛大にツッコまれた橋谷は今度両手を振って、「個別会計!」と大声で言った。
「なに、どっか行きたいの」
 回答をチェックしながら幹が言う。うん、と橋谷は頷いて、それから気恥ずかしそうに、ある、と言った。
 それほどもったいぶるようなところに行きたいのか? 俺は疑問に思う。変なところだったらどうしよう。逆に、ものすごく格式高いところとか。
 俺たちは五人とも出身地がそれぞれ違って、幹はこの大学のある街の生まれだけれどそれ以外は全員地方から出てきた。そのどこもこの街ほど栄えてはいないから、大学に通いたて、一人暮らしを始めたての俺たちが調子に乗って浮ついてしまうのも無理はないと思う……が、節度は大事だ。俺は橋谷を見た。
「変なとこだったら行かないぞ。お前のことも止める」
「えー、変じゃないと思うんだけどなあ。みんな行ってるし……」
 俺たちはますます首をかしげた。
「どこ?」
「えー……」
 金に率直に訊ねられてもじもじする橋谷。みんな行ってるから変じゃないと言うならそんなにためらうのはおかしいんじゃないか? 俺のなかの疑念はますます強くなる。橋谷はいいやつだが、俺たち以外との友好関係には俺も詳しいわけじゃない。もし怪しいやつからそそのかされて、とかなら、俺はどこまで橋谷の味方でいられるだろう。
「ま、種明かしタイムだな。ほい返却しまーす」
 さくっと回答チェックを終わらせた幹が俺たちの傍に立ってそれぞれに答案を返却した。
「俺、九〇」
と小松。
「うげ、七二……」
とは俺。
「八一!」
と金が言い、
「ふっふっふ……ふはははは! 勝利! 九八~!」
有言実行の橋谷が高々と答案を頭上に掲げた。
「まっじかよ、つよ」
「逆に何間違えたの?」
「シーラカンスの現存する種類。答えわかってたのにマークするとこ間違えた」
「はい確認不足~。一番の敵です~」
「ウィニングランで余裕ぶっこいた……」
 どういうことだよ、とがくりと落ちた橋谷の肩を幹がたたく。
「それはそれとして、どこ行きたいの?」
 首をかしげた小松に、照れくさそうに頬を赤らめた橋谷が口にしたのは――

 そんなわけで俺たちは今、大学の近所のガストにいる。
「ファミレス行ってみたい」
と口にした橋谷の希望を受けてのことだが、正直言って全員が拍子抜けしたことは確かだったし、俺は俺の地元にはないデニーズかジョナサンかバーミヤンに行ってみたかったので「一番近くのとこでいいだろ」と適当に検索した金のことを恨みがましく見つめてしまった。今度はみんなを誘ってデニーズかジョナサンかバーミヤンに行ってやる。
 対面にいる橋谷にグランドメニューを手渡すとやつは目をきらきらさせて、うお、とか、ひえ、とか言いながら恐る恐るページをめくっている。
「何、その感じ」
「だって、初めてなんだもん、ファミレス」
「マジか」
 橋谷の隣でキャンペーンメニューを眺めていた幹が驚いたように言い、金も「そっちなかったの?」と橋谷に訊ねる。
「あったけど、連れてってもらえなかったから。高校のときも門限あったし、小遣いも全然もらえなかったし……」
 口をとがらせて言う橋谷に、小松が「こっそり行けばよかったのに」と口の端を上げた。
「無理だよ……だから、一人暮らし始めたら絶対来たかったの。でも一人だと不安だし……」
「別に、勝ち負け賭けなくても、いつでも誘ってくれていいのに」
 幹の言葉に、橋谷はぱちりと瞬いてから、再びグランドメニューに目を落として、小さく「ありがと」と言った。俺はなんとなく、それすらもハードルが高かったんだろうな、と橋谷の気持ちを察する。
 今回のことで、もう少しみんなで打ち解けられているといい。
「んで、注文決まりましたかー?」
 自分だけさっさと幹から奪ったキャンペーンメニューのなかからミートドリアを選んだ小松が急かすように言う。橋谷が慌てた。
「こんなにいっぱいあってわかんない……自由すぎて目が回る」
「おもしれ」
 幹はくしゃりと笑って橋谷のグランドメニューをひとつひとつ指さしながら、このメニューはどう、このメニューはこう、とおすすめポイントを横から口出しする。俺と金も二人でグランドメニューを眺めてそれぞれに注文を決めた。
 金が[小さなおかず]の項目を指さして俺を見る。
「これみんなで食べよ」
「お、いいね」
「なにー?」
 何もかもが目新しい橋谷が困ったような顔で俺たちを見た。金が「ポテト」と言うと橋谷は目を丸くして大きくうなずく。
「てか、橋谷、自分の好きなもん頼みなよ」
「うー、それもあんまわかんなくて……」
 小松の言葉におろおろしながら返す橋谷に、幹は「じゃあ」とひとつのページを開いた。
「今回はこれ。ミックスグリル。いろいろ入ってるから」
「あ、じゃあ、それ」
「次来るときは、別のやつ。その次はまた別のやつ」
 にやりと笑ってみせる幹に、その言葉の意味を理解した橋谷が頬を真っ赤にしてこくこくと頷く。俺は横から口を挟んだ。
「ファミレスってガストだけじゃないから! 次デニーズ行こ、デニーズ」
「サイゼもいいよ。安いし」
 小松が言えば、金も続けて、
「俺の地元びっくりドンキーつぶれちゃったから久しぶりに行きたいな」
と頷いている。そのすべてに橋谷は、うん、うん、と首肯を返した。
「俺はファミレスだけじゃなくて個人経営のとこも行きたいな。一緒に行こ、橋谷」
「うん……!」
 橋谷の返事は本当に嬉しそうで、その目はガストの照明のしたできらきらと潤んで輝いていた。
 俺は頭のなかで、毎日大学に通う途中で見かける、気になっているたくさんの店をリストアップしていく。そして、それだけじゃない場所がこの街に、この街の外にたくさんある。こいつらと一緒にいられる間に、どれだけ多くの場所に足を運べるだろう。
 それぞれの場所で、いい思い出をたくさん作れますように。
 新しく始まった大学生活の一番最初にこんなことを考えるなんて、先月までの俺は予想すらしていなかったなあ。