第19回ワンライ参加作品(2023/06/24)
【本日のお題(このなかから1つ以上選んで書く/◎…使用したお題)】
 世界で一番○○(○○は変換可能)
 つぐない
◎グッドラック
◎受付
 未来指向
(つぐないと未来指向もある意味入ったと思いたい)


 三年ほど前に泰山の知事が代わってからというもの、泰山府の労働環境は明らかに改善していた。前の知事が特別悪いわけではなかったはずだが、新しい知事は適材を適所に置くという、いわゆる人事に優れたものだったらしい。あちらの部署ではいまいち力を発揮できなかったものがこちらの部署ではその才を遺憾なく発揮したり、内務に携わっていたものを外務に異動させたところ意外にも適性があったりなど、本人たちですら思ってもみなかった方向から自身の新たな可能性を提示されて自信がつくといった効果も見られるようになった。常からなんやかんやと忙しくしている泰山府君の名代として、新しい泰山知事は本当によく働いた。
 涼幹(りょう・かん)はその泰山府で受付係に従事していた。先ごろ、これまた新しく配属された録事が作成した帳簿が実に見やすく、死者の整理統括もしやすいとは同僚たちの間でもっぱらの評判だったが、例にもれず幹にとってもそうであった。特に幹は人の顔を覚えることが生きていたころから得手ではなかったので、また別の録事によって考案された門前で死者にめいめいの名票を渡す策を実施し始めてからは仕事がスムーズに進むようになった。これまで幹がもたついては同僚たちをいら立たせていた照合の業務もその恩恵にあずかり、適切な人事は当人だけではなく周囲にも良い影響を及ぼすものだ、と幹はしみじみ実感していた。

 その日も幹は業務が始まってから帳簿の確認に勤しんでいた。今日は昼の第五時(午前十時~十一時)ころまでは泰山府に来る死者はない予定になっていたので、確認作業もゆっくりと進めることができ、同じ受付係の劉予(りゅう・よ)と歓談しながら死者の到着を待っていた。
「ん?」
 しかし、昼の第三時(午前八時~九時)を過ぎたころ、ふと予が門に目を遣ると、外から衛士の張白(ちょう・はく)がどうにも不服そうな表情を浮かべて駆けてくるのが見えた。白は受付前で立ち止まると帳簿を指さし、「今日来るもののなかに王陽(おう・よう)という名はあるか」と問うてくる。幹は、わかっているだろうに、と思いつつも帳簿に目を落として「ないよ」と答えた。
「今、その王陽が、引率の兵士もなく一人で門前に来ているのだ」
「それは困ったな。名票もなければ帳簿に名もない。独断で通すわけにもいかんよなあ」
 予が困ったように首をひねる。幹もうなずいたとき、「何をしておるのだ」と、まるで晴れた日に突然激しく聞こえた雷鳴のような、闊達な声がこだました。その場にいた三人は驚きに門を見遣る。一人の男が堂々と門を破って――これは多分に幹のいきすぎの表現ではあるが――受付のほうに歩いてくる。大股で、肩で風を切るといった表現がふさわしい、背筋を伸ばしたその姿勢に、距離が開いていても幹は圧倒された。それは、予や白とても同様だったらしい。
「か――か――勝手に入ってくるんじゃない!」
 白はつかえながらもそう言った。八尺はあろうかという上背で受付前にぬうんと立った陽は白をチラと見たあと、幹に目を向けた。
「名簿に私の名がないからなんだ。私が自らの足でここに来たのだから、ここから先へ行くのも私の意思だ」
 さほど大きいわけでもないだろうに、その声には重みがあった。幹はしばらく声を発せられなかったが、ようやく、
「いや、それでは、困るのです」
となんとか答えた。そこで予も「そうです」と続ける。
「泰山府君はご多忙です。スケジュールが、ああ、詰まっておりまして、よほどではない急用を挟むわけにはいかんのです」
「ふん、知ったこっちゃない。私の意思が泰山府君の予定をどうして考慮に入れてやらなくちゃならん」
「だ、だいたい、引率もなしにどうやってここへ」
 幹が訊ねると、陽は目を細めて笑った。
「わかるさ。導くほうへ向かえば着く」
「な、なにが導くのです」
「心が」
「うぇえ……」
 幹はすっかり気圧されて――そして、めんどくせえ、と思ってしまった。目の前の巨漢が厄介ものであることは明らかだったし、ここで知事や泰山府君の許可も得ずに通してしまえばあとで何らかの罰が下ることは明らかだろうが、かと言ってこの男はとうてい引き下がりそうにない。
 陽は何も言えなくなってしまった三人を順番に見て、「案ずるな」と今度はニヤリと笑った。
「私から泰山府君に口添えしておいてやろう。あのものらに非はないとな。安んじておれ。じゃあな! 幸運を!」
「じゃあって、あっ!」
 白が声を上げたときには陽は猛ダッシュで受付の前を駆け抜けて、泰山府へ続くもうひとつの門をひと蹴りで駆け登りその向こうへ消えていった。
「えっ、えっ、何あれ、どうしたらいい」
 立ち上がりうろたえる予がわたわたと両手を動かすが、同じく立ち上がった幹もぽかんと口を開けたまま固まってしまう。
「ていうか、『幸運を』って何……」
 幹は胡乱な声でようやくそれだけ言うことができた。
「厄介事持ち込んだ本人のくせに……いや、さすがにちょっと行ってくる。懲罰はお前らも巻き添えにするからちょっと待ってろ」
 そう言い残し、白もまたもうひとつの門を抜けていく。残された二人の受付係は目を見合わせ――椅子に崩れ落ちるように坐り込んでしまった。

 半刻の後、白は「許された」という言葉と三人分の胡麻団子を携えて戻ってきた。
「府君に申し訳なさそうな目で見られた……」
「なんで……」
「それはわからん……」
 その謎は百年の後、知事直属の録事に就任した幹が泰山府君の近侍から胡麻団子を用意するよう依頼されてからようやく解けることになる。