第25回ワンライ参加作品(2023/08/05)
【本日のお題(このなかから1つ以上選んで書く/◎…使用したお題)】
 ○○時代(○○は変換可能)
◎おそろい
◎どこか遠くへ
◎贈り物
◎きらきら光るお空の星よ


 イドリスが一度故郷へ戻ると言って出て行ってから十年が経つ。イドリスの故郷はこの星からは何億光年も離れているらしいけれど、この星の恒星間移動技術があれば片道何億光年の距離だろうと思っているほどは時間はかからない。それでも、行きに三年はかかってしまうのだけど。
 イドリスからは毎日のようにメッセージが届いた。ビデオメッセージのときもあればボイスメッセージのときも、テキストメッセージだけのときもある。私は彼女の気さくな文章が大好きだったから、テキストだけでも寂しくはなかった。でも次第にその頻度は少なくなり、イドリスと離れて六年目を過ぎるころには、ひと月に一回届けばいいほうになっていて、今はもう三月届いていない。
 彼女の出発の直前、私とイドリスはお揃いのマスカレンタイトのリングを作り、お互いへの贈り物にした。リングと言っても、私のそれは指にはめるもので、彼女のそれは手首にはめるものだ。そこまでちゃんとはお揃いにできなかった。マスカレンタイトには「離れてもそばにいる」という意味がある。イドリスが彼女の言葉で、「ファレナが私のそばにずっといますように」と祈ってくれて、そしてキスをしてくれた。イドリスのやわらかな頬の毛並み、私に添えられた肉球の優しい冷ややかさ、鼻先の湿り気は片時も忘れることがない。

 イドリスが故郷に戻った理由は実家の整理だ。イドリスの故郷はすっかり荒廃してしまって、棲んでいた生き物のほとんどは絶滅するか、故郷の外に新しい安住の地を求めたらしい。イドリスの一族もそうしてばらばらの道を辿り、イドリスだけが私の星に流れ着いた。
 どれほど時間が経っても故郷は忘れられない。遺してきたものの形がすっかり失われてしまっても。
 彼女は時折そう口にした。そのたび私は共感するふりをして、そんなものどうだっていいのに、と思っていた。
 私とイドリスが一緒にいること以上に大切なものなんてこの宇宙にあるんだろうか?
 十年離れて、そのことを考えない日はない。私も一緒についていけたらよかったのに、私はこの星から出ることができない。イドリスのように自由に外に出られる体ではないのだ。
 私たちはこの星で一緒に過ごしながら、いつかどこか遠くへ遊びに行こうね、と口約束を交わし合った。私のそれは叶うことのない夢物語で、イドリスにとっては私に見せてやりたい風景のひとつだった。イドリスは、彼女の辿ってきた道をたくさん私に語って聞かせてくれ、私は彼女の言葉で宇宙の果てまで旅をした。

 この宇宙は穴ぼこだらけ。行く当てのない生命がそこらじゅうに吹き溜まり、その虚ろを新しい家にする。誰にも知られず生きていられる、そのことに安堵しながら。

 イドリスの故郷が荒廃した理由を、イドリスは「わからない」と言った。様々な要因がある、と。すべてが交差し、絡み合い、相互に作用して、滅びに収束したのだ、と。
「私もそのときになるまで大した勉強をしなかった」
 イドリスはまるで懺悔するようにそう言った。その姿がかわいそうで私が抱きしめると、彼女は私の肩口にやわらかな顎をそっと置いて、小さな声で「ありがとう」と言ってくれた。
 私はイドリスに、ずっと私の腕のなかにいてほしかった。
 イドリスのなかには、ずっと故郷の風景があった。

 イドリスと離れて十年と一日目。星空を見上げても、光の粒のなかに彼女の乗った宇宙船の姿はまだ見えない。
 私は毎日起き抜けに、彼女の教えてくれた故郷の歌を口ずさむ。
「きらきら光る、お空の星よ……」
 私は悔しさに歯噛みする。光っているだけで何もしてくれない星の歌を、ただ見ているだけの星の歌を、どうしてイドリスはあんなに恋焦がれるような歌声で歌ったの。
 イドリスが帰ってこないのは、私が心の世界で彼女の故郷の荒廃を喜んでしまったから? そのことが見透かされてしまったから? だって、彼女の故郷がなくならければ私は彼女に会えなかったのだから。
 食いしばった歯の向こうから恐ろしい呻き声が聞こえる。こんな音、彼女には聞かせられない。
 あんなに故郷のことを愛していたイドリス。一度戻ってしまったら、二度と私の許へ帰ってくることはないかもしれないと、私は心のどこかで疑っていた。本当にぎりぎりまで、私は彼女を縛りつけて、戻るなんて言わないで、と縋りつくことすら考えていた。それでも、出発の前日の夜、彼女が私にくれたキスが、そうさせてはくれなかった。
 あんなに嬉しそうに、すぐに戻るよ、と宇宙船に乗り込んだイドリス。
 あなたが喜ぶことなら、私は止められないの。

「この曲にはね」
 イドリスは、私の頬を優しく撫ぜながら、詩を紡ぐように美しい声でささやいた。
「たくさんの歌詞がつけられていて、今私が歌ったのは、私の故郷で一番有名だったものだよ」
「そうなんだ、素敵な歌だね」
「うん。ふふ……だからね、ときどき、私も自分で作った歌詞を音楽に載せたりしていたんだ」
「本当? 聞かせて」
 すり寄って乞う私に、イドリスは恥ずかしそうに目線をあちらこちらに遣りながら、首を振った。イドリスのすべてを知りたがっている私がごねると、彼女ははにかんで、「じゃあ、いつかね」と、「約束するよ」と言ってくれた。

 あなたは言ってくれたの、イドリス。

 ビデオメッセージもボイスメッセージも、テキストメッセージももう要らないの。あなたが私の許に帰ってきてくれないなら、全部無意味なの。
 私は、彼女が私にくれるすべてが約束だと思っていた。

 私の指に光るマスカレンタイトが湿っていく。私の口が発する呻き声は地鳴りのようで、雷のようで、イドリス、きっとあなたには見合わないかもしれない。こんな恐ろしいものは本当はあなたに聞かせたくない。
 それでも、イドリス、あなたが恋焦がれるように歌ってくれた、あなたの故郷の歌にあるように、星がきらめいているなら。

 お願い、私の夢も届けて。