第29回ワンライ参加作品(2023/09/02)
【本日のお題(このなかから1つ以上選んで書く/◎…使用したお題)】
◎○○の言葉(○○は変換可能)
◎クリスマス
◎昼と夜の物語
 あいさつ
◎幸福をもたらすもの


 クリスマスが自分のための日ではないということに思い至ってから、私はこの日を気にかけることをやめた。若いころはそれでも周囲の環境や知り合いたちの言葉などに思い煩うことも多かったが、幸いにしてここ数年は会社の新規事業が軌道に乗り、その流れで新しく始まったプロジェクトのチームに選ばれ、昨年からはリーダーを務めていることもあって、忙しない年の瀬を過ごしている。
 それでも家庭があるものや何かしらの約束事を取り付けているメンバーはどうにかして十二月二十四日の夜は残業せずに帰ることに努め、“そういった”ことに自分の時間を割く必要のない私は喜んで彼らの仕事を肩代わりした。
「喬リーダー、ありがとうございます」
「明日お昼奢りますんで!」
「はいはい、ありがとうね。早くお帰り」
 さっさと手を振ってやると、私よりも若いメンバーたちはうきうきと軽いステップでオフィスを出て行った。彼彼女らを見送り一人残されたオフィスで、この寒い季節に元気なことだと嘆息する。それでもきっと、“心はあたたか”なのだろう、とも。
 そう、若いころは、きっとああしたことが幸福の源泉なのだろうと思っていた。そして、それらは常に私には縁のないことなのだと。親兄弟とは決して疎遠なわけではない。だが一人、都会に出てきて働きながら年を取り、いつしか誕生日を祝わなくなるのと同じように、クリスマスだって自分自身からは縁遠いものに変わった。子供のいる弟一家や妹一家は恐らくそうではないだろう――しかし若いころと違って甥っ子や姪っ子のためのクリスマスプレゼントを購入する機会もなくなった――が、それすらうらやむことも今ではない。
 私がキーボードをたたく音だけが響く静かなオフィスに、どこかで鳴っているのであろう賑やかなクリスマス音楽が微かに聞こえてくる。窓の向こうに目を遣れば、街中できらめいているのであろう色彩豊かなイルミネーションの存在がここからでも感じられる。
 誰かが喜ぶのであればすべきなのだろう。私は本当に、ああしたことに動く心を持っていなかった。
 ――そんなんで人生つまらなくない?
 かつて、同僚にそんなことを言われたことが思い出される。どういった文脈だったのかは覚えていない。ただ、どうしてそんなことが、私の人生が面白いか、つまらないかの評価につながるのかがわからなかった。思い煩ったのはそのことだった。どうやら、世間は私が思うようには動いていないらしいのだ。
 一時間ほど作業をして、ちょうどきりのいいところまで終わった仕事に満足する。さて明日は何を奢ってもらおうかと考えながらPCを閉じ、私は立ち上がった。
 帰社前の最終確認を行うためにオフィスを歩いていると、共用の低いファイルラックの天板に置かれてあるスノードームが目に入った。モミの木と小さな家を模したオブジェが内部に収められており、どうやらライトも内蔵されているようで、持ち主か誰かが消し忘れてそのままにしていったらしくぴかぴかとひかめいている。
 私はその傍に近寄るとスノードームを持ち上げた。小さな家の脇には雪だるまがいて、私がひっくり返すと舞うイミテーションの雪のなかで笑っている。
 窓の脇に立ってスノードームを思いきり振った私は、それをイルミネーションの影にかざした。
 白、ピンク、水色、茶色、黒、赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫――
 その光は私の瞳に映り、揺れている。
 スノードームを見つめていた視線を上げると、空に月が輝いていた。

 翌日、私はプロジェクトメンバーたちにタイ料理を奢ってもらうことにした。先々月にオフィス近くのビルに新しく入ったタイ料理店にずっと行ってみたかったのだと言うと、皆して口々に同意してくれ、何人かは実はもう行ったことがあると答えた。
「タイラーメン、美味しそうだと思って」
「美味しかったですよ! おすすめです」
「私はパッタイにしようかなあ」
「パッタイもいいよ! おすすめ」
「ねえ、揚げ春巻きも頼みません?」
「揚げ春巻きもめっちゃ美味しいよー!」
 何にでも乗り気で口を挟んでくるメンバーに私たちは笑いながら、それぞれ自身の食べたいと思ったものを注文する。私は最初の予定通りタイラーメンを注文して、併せてメニューの隅に載っていたタイミルクティーをアイスで追加注文した。この時期にアイスかとメンバーに驚かれたが、私は「ラーメンを食べたら熱くなるかと」と返す。
 そうこうしているうちに先に届いたのはタイミルクティーだった。金色に塗られたアルミ製のティーカップは口が広く、高さはそこまで高くなく作られていて、高台のない椀のような形状にきめ細やかな模様が彫られている。
「わ、冷た」
 カップに触れると思ったより冷えていて私は思わず声を上げた。
「アルミです? 熱伝導率高いのかもですね」
「そうだねえ……」
 両手の人差し指と親指で注意深く挟みながら、一口、一口と飲み進める。ほうじ茶にバニラを混ぜたような味わいと書かれてあったが、私の口ではどうにもココアに近い飲み物に思えた。いずれにせよ美味いことには変わりなく、アイスではあったもののゴクゴクと飲んでしまう。
 そのうち、表面が下がってくると大きめの氷がカップの底について、底の金色を透過してきらめいているのが見えた。
「……喬リーダー? 何見てるんです?」
 ずいぶんしばらくそれを眺めてしまい、メンバーたちに訝られていることに気づく。私がティーカップを差し出して氷について述べると、皆も順番に覗き込んでは「きれい」「いいですねえ」と楽しげに笑った。
 ほどなく手許に戻ってきたティーカップを再び覗き込み――私は、昨日のスノードームとそれに反射するイルミネーションの極彩色を思い出す。
「リーダー、めっちゃ嬉しそう」
「え?」
「素敵ですよね」
 一人の言葉に、私は小さくうなずいた。
 タイミルクティーの茶色、透明な氷、影の青や黒や紫、底で揺れている金色……。