第53回ワンライ参加作品(2024/02/17)
【本日のお題(このなかから1つ以上選んで書く/◎…使用したお題)】
 かわいい○○(○○は変換可能)
◎宿題
◎大いなる野望
 レストラン
◎知らなかった


――カナタさんは、将来きっと自分のなりたいものになって。
――……先生からの宿題。忘れないでくださいね。

 そんな言葉にわけもわからず頷いてからずっと、私は自分のなりたいものを探していた。
 こんなことを言うと、なりたいものが先に来るんじゃない、なりたいという気持ちが自然と起こるものなんだ、なんて言われてしまうかもしれない。でも、私はそんなの待っていられなかった。
 あの日、先生は、結婚おめでとうございますと言った私に怯えたように、しかしそれを悟らせまいとするように困ったように微笑んだ。私は――私は、先生に憧れていたから、どうかしたんですかと図々しく訊ねてしまった。先生は首を振った。

――ありがとう、カナタさん。嬉しいです。

 そんなこと、微塵も思っていないような声で。
 結婚と同時に教職を辞することが決まっていた先生に、特に“大人の人たち”は口々におめでとうと言った。私は本当はおめでとうなんて思っていなかったのにみんながそうするからおめでとうと言うしかなかった。だって私は本当に、本当に先生に憧れていて――ずっと、私の先生でいてほしかったのに。

――どうしても辞めなきゃいけないですか。

 思わず口にしてしまった私に、先生ははっとなって、それから顔を俯け……しばらくして顔を上げたときには、穏やかに微笑んでいた。

――そうですね。仕方ないんです。

 “仕方ないんです”。

――小さなころからずっと先生になりたくて、なれて嬉しかったですが、もう仕方ないんです。
――……だったら、辞めなくても、いいじゃないですか。
――…………カナタさんは…………

 先生は、言葉に詰まり、もう一度俯いた。
 私はぐうっと拳を握った。ありえないはずの、私の言葉で先生の行動が変わる未来を期待してしまった。
 でも、顔を上げた先生はやっぱり、微笑んでいた。

――カナタさんは、将来きっと自分のなりたいものになって。
――……先生からの宿題。忘れないでくださいね。

 ……先生が離婚して、同性の“恋人”と遠い街に引っ越したという噂を耳にしたのは、成人式に出席するために地元に帰ったときのことだ。
 笑いながら、驚きながら、少し引き気味になりながらその話題に花を咲かせる同級生たちに、私は血の気が引いていた。……気づけば、私はさっさと会費だけを置いて飲み会の場を後にしていた。大好きだった同級生たちが何かとてつもなく嫌な存在に見えてしまった。
 履き慣れないヒールと歩き慣れないパンツスーツで速足に歩く。一刻も早くあの場から遠ざかりたい。

――仕方ないんです。

 先生に笑顔を浮かべさせてしまったあの日の自分を私は恨んだ。“仕方ない”と言わせてしまったあの日の自分を。“大人の人たち”を。先生に降り注いだおめでとうの言葉を。

「…………はあっ」

 吐いた息が熱く、濡れている。ぐっと歯を食いしばって、目をかっ開いて私は歩き続けた。アキレス腱もつま先も足の側面も痛かった。
 先生。
 ……先生。

 先生がこの街から走り去っていく。軽やかに。笑顔を浮かべて。

「…………!」

 “結婚おめでとうございます”。
 喉まで出かかった言葉が変なところで引っかかり、私はむせた。大きく呼吸をして顔を上げると、あの日、困ったように微笑んだままの先生が私を見つめている。
 まだ。
 まだ――言えない言葉なのだ。
 そして――いつか絶対に言いたい言葉。心の底から。私の意思で。

――先生、結婚おめでとうございます。

 そういう社会で生きるひとりに、私はなりたいです。