歩騭、字を子山は臨淮郡淮陰県の出身で、故郷で起こった戦乱を避けて江東地域に仮住まいをしていたが、当地の群雄の一人であった孫策が死去し孫権がその後継として事業を始めた頃に一度その将軍府に主記として招かれた。しかし職務を遂行していくうちに体に病を得て免官となり、当時曲阿に拠っていた友人の厳畯の居宅で養生していたところ、豫章から出てきた諸葛瑾と出会い、友誼を結んだ。ほどなく病が快方に向かったこともあって、歩騭は二人の友人たちと共に改めて当時の討虜将軍府へ出仕することとなったのである。
 当初は以前のように主記室史として孫権の傍らで書記を務めていたが、建安十年頃になると軍事も経験して見識を広めてほしいという孫権の要望があって――とかくこの将軍府は人手不足で、文事と武事の両面に於ける功績が文官武官の別なく誰にも求められた――鄱陽で起こった不服従民の叛乱討伐に監軍として従軍することとなった。このとき連なっていた将軍は董襲、蒋欽、そして凌統の三名である。
 なかでも、会稽郡の出である董襲の勇名は際立って遥か鄱陽にまで轟きわたっており、彼の軍勢が鎮圧に乗り出したという報が当地に流布されると、ただ二、三度衝突したきり山中に隠れ潜んでいた敵はすっかり意気消沈し、数万にものぼる叛乱軍が投降してきた。その誰もが口々に、それは賊の頭領であった彭虎までもが、董元代には敵わぬ、と言うのだ。
 さっすがあ、と楽しそうに董襲にまとわりつく蒋欽はともかく、当時まだ亡父の遺した軍勢を率いて間もなかった若い凌統、そして従軍経験のほとんどなかった歩騭は開いた口が塞がらない。
 ――これほどまでの将がこの将軍府にいるのか。
 本当のところを言えば、歩騭や諸葛瑾、あるいは厳畯ら江北の生まれを持つ者たちは、故郷を兵馬で蹂躙した曹操憎しの一心で孫権の将軍府に参入したようなところがある。“曹操以外であれば誰でもよかった”のだ。その麾下に入って失望したこともないわけではない。特に心ない官吏たちに将軍本人の雑言を吹き込まれたようなときなどは――
 それだのに、なんと気持ちのいい将たちだろう。
 自身に向けられる視線に気づいた董襲が小首をかしげて、どうしましたか、と歩騭に問う。いいえ、と慌てて首を振る歩騭は、彼に備わる立派な風采に年甲斐もなく胸を高鳴らせた――ああ、己も、こんなふうな生き方ができたなら。

 不服従民討伐の成功を祝うために開かれたささやかな酒席で、歩騭は珍しくしたたか酔って董襲を褒めちぎった。横から蒋欽や凌統も賛同してきて気を良くした歩騭に、董襲は困ったように笑いかける。
「監軍どの、一体どうされたのです。そんなに酩酊するとは。普段の貴殿が見る影もない」
「優れた将とはその武功で人を酔わせるものです。勇将と酒席を共にすればどうなりましょうや」
「これはもうお休みになるがよろしかろうな」
 頬をかく董襲はそんなことをいっておもむろに立ち上がると、歩騭の腕を取った。
「あいや、これはご迷惑を。私のことはどうぞ捨て置いて」
「本当に悪酔いしていますね。董将軍、私が代わりますからどうぞお坐りになって」
 将のなかで最も若年の凌統が申し出るが、董襲は首を振って、大の男一人を支えるには心許なかろうと言う。
 そうして足元の覚束ない歩騭と、恐らく同じだけ飲んでいるだろうに酩酊の片鱗も見せない董襲とは連れ立って宴席から中座した。
 彼らが拠点を構える海昏県の夜空は濃紺に染まっている。酔っ払いの歩みに合わせて緩慢に回廊を進む董襲は、ふと見上げた空にまさに今満ちようとしている月を見つけた。
「おお、監軍どの、見えますか。今日の月は綺麗ですよ」
「そうですか、それは重畳」
 くぐもった声が床に転がる。見ておらんな、と董襲は苦笑を浮かべた。
「董将軍は……」
 歩騭が不意に呼びかけた。
「ん?」
「どうして、孫討逆様に臣従なさろうと思われたのです?」
 問いかけに、ふうむと唸って董襲は首をかしげる。チラリと見下ろした歩騭はいつの間にか顔をまっすぐに董襲のほうへ向けていて、酩酊しているくせに殊の外醒めているふうで董襲はそのことに少し驚いた。
「そうですな……私は元々会稽の出で、山陰で城邑の守備隊長を務めておりました。ご兄弟のお父君である孫破虜様や、当時の呉丹楊様についてもその武名を存じ上げておりましたな。身の程も弁えぬ野心もまあ、あって、いつかいっぱしの将として名を馳せたいと、その頃はそう思っておりました」

 あるとき、北で勢力を伸ばしていた孫策の軍勢が会稽まで南下してくるとの報が郡にもたらされた。
 会稽郡は朝廷から直接遣わされた太守である王朗、字を景興の善政によって安寧の内に治められていたが、それがため軍備こそそれなりにあったものの将兵そのものの強さにはいささか不安があった。当時王朗の功曹を務めていた虞翻は彼に戦いを避け会稽より避難するよう勧めたが、王朗は彼自身が漢臣であり陛下に託された城邑を捨てるべきではないと主張して抗戦を決めた。董襲も一都伯として五十人の兵を率いそれに付き従った。
 しかし戦いに戦いを重ねてきた孫策軍の勢いにこれまで平穏無事のなかにあった会稽の軍勢が敵うはずもなく、また友軍である彼の叔父、孫静、字を幼台による計略のために王朗の軍は散々に打ち破られ、彼は敗走せざるを得なくなってしまう。会稽郡に詰めていた官吏たちは多くが王朗の守護のために彼に同行して南下したが、孫策軍の追撃を受けて結局彼に降伏することとなり、揃って会稽郡まで帰還してくる運びとなった。
 このとき高遷で孫策を迎えに出る亭長の随伴兵として選ばれたのが、郡治に城邑の守備として残っていた董襲であった。
「私の部隊は前線に出てはいたもののさほど被害が大きくなかったもので、私も幸い五体満足でした。それに、この体にこの髭面ですから。ちょっとした意趣返しの意味もあったんでしょう。高遷は一度彼の軍勢によって襲撃を受けておりましたが、お前が武力で制圧した会稽には未だ戦えるものがいるのだ、と」
 だがその思惑に反して高遷亭で相対した孫策は、亭長の顔をチラとも見ずに董襲にまっすぐ目を向けると、無事であったか、と高らかにのたまったのである。面食らう会稽の官吏たちをよそに董襲に歩み寄った彼は、己よりも頭ひとつ分以上も上背のある董襲の腕をぽんぽんと軽やかに叩いて笑った。
「王景興の下にもずいぶん立派な都伯がいるなと思っていたのだ。見た目もそうだが、麾下の兵は皆勇敢でありながらあなたの指示をよく聞いて、戦い方を心得ている。あなたがこれ以上、数百や数千の兵を率いていたらこちらとしても無事では済まなかったであろうな。あなたの兵たちはどうだ? 皆息災か?」
 まくし立てられ呆気にとられた董襲であるが、慌てて、皆幸いにも軽傷で命はあると答える。やはりな、と孫策は哄笑した。
「あなたはこんな使者たちの守衛ごときに収まる器ではない。私が役所に入ったらあなたは私の護りとなるのだ。麾下の者たちにもそう伝えておいてくれ」
 そうして胸を張り堂々と会稽郡の使者に応じる孫策から、董襲は目が離せなくなった。
 その後、会稽太守を自称する彼の門下賊曹として任を受けたところから、董襲の人生が始まった。

 話し終えた彼の横顔を見つめながら、歩騭はほうとため息をつく。直接孫策にまみえる機会はなかったものの、かの人の、人を見る目の鋭さには驚かされるばかりだ。そうして人を適切に使い軍勢を運用していく能力は、より精度を得て彼の後継である孫権へと引き継がれている。
 あるべきところにあるべき人がいることの頼もしさは何物にも代え難い。
「……私も、そうありたいものです」
 ぽつりと呟いた歩騭に、それを耳聡く聞きつけた董襲は首をかしげて、あなたならなれますよ、と笑った。

 建安十三年、孫権主導の征西軍が江夏で黄祖との決戦を繰り広げていた頃、歩騭は海塩県の長として当地に詰めていた。建安十五年を過ぎ、一連の戦役がひと段落すると鄱陽太守として任地替えになったが、ほどなく孫権の下に直々に呼び出された。曰く、交州へ軍を率いて向かってくれないか、と言うのである。
 交州は荊州南部の零陵や桂陽よりもさらに南に位置する、いわば南方の僻地とも呼ぶべき地で、荊州との境には天然の要害である峻険な山々が連なり、中央の朝廷で発生した混乱の影響がほとんど及ばぬ土地でもあった。
 歩騭は、少し躊躇った。
「交州、ですか」
「交阯太守の士威彦どのはご存知でしょう」
 歩騭は首肯した。
 士威彦は名を燮といい、もとより交州蒼梧郡の生まれであったが、彼の師である潁川の劉陶に茂才に推挙され、交阯太守の任まで昇進した士人である。朝廷が乱れる以前から長きに渡り交阯を治めている彼を中心とした交州地域は、さながらひとつの国の様相を呈していると聞く。士燮やその一族が出掛け、或いは帰還する際には街中に響き渡るような鐘磬が鳴らされ、儀仗兵や鼓吹が連なり、その周囲を守る兵馬は道に溢れている。また数十の胡人が常に馬車の両脇に付き従い香を焚き、妻妾を車に乗せ彼の兄弟が騎馬してそれに続く様に、当地の住民たちは士燮を畏敬し、心底から彼の民として日々を営んでいるという。
 南方の異民族たちをその仁愛で懐柔し、よく民衆を慈しみ、また戦火の到底及ばぬ地でもあることから中央から避難する士大夫も少なからぬ数がいるらしいというのは人伝に聞いた。他方、年毎の朝貢も欠かさずにいることでその功績を評価され、現在は安遠将軍にまで任じられていたはずである。
「我々はついに曹孟徳と敵対することになりました。さらに、劉玄徳どのとの盟ももはや形骸化しつつあります。そこで彼らよりも先に南方との融和を図りたいのです。劉玄徳どのは、子敬どのによれば呉蒼梧どのと旧知の仲であるようですから彼と連携を図られることは避けたいですし、またもし曹孟徳が士威彦に目をつけ、荊揚を挟撃しようと企てないとも限りませんから」
 そこまでまくし立てて、ふと孫権は自身の口許に拳を当てながら、それに、と言った。
「南の資源を得ておきたい。以前に象を北に送ったことがあったのですが、それが非常に喜ばれましたので」
 おかしそうに笑う彼は歩騭と目を合わせ、どうでしょうか、と視線で問う。なおも歩騭は逡巡していた。彼にとって南方は未開の地であり、あまりに遠すぎた。
「武将は――武官の方は行かれないのですか。南方にはこの江東、江南地域以上に異民族が多く割拠し、ここ以上に言葉も通じぬ者も多くあると聞きます」
「戦いに行くのではありませんから」
 孫権ははっきりと言った。
「士威彦の例をとっても、南方に必要なのは武による威圧ではありません。文と仁による寛容と博愛です」
「…………」
「ただもし、何かあるといけませんから武勇に優れた兵たちを千人程度随行させます。一番大切なのはあなたの命ですから、それを守ることを躊躇うことだけはなさらないでください」
 孫権は変わらずにまっすぐ歩騭を見つめている。唇をきゅっと引き結んだ歩騭は、董襲のことを――あるべき場所にある者たちのことを思い出していた。
 己もまた、己のあるべき場所に辿り着けるだろうか。
「…………謹んで、拝命いたします」
 そう答えて深く礼をした歩騭に孫権は彼の座から立ち上がって駆け寄り、その傍らにそっと膝をつくと、ありがとう、と心底から嬉しそうな声で言った。
「あなたでなければできないと思っています。あなたの智謀と仁愛とを、南方の地にどうか広く行き渡らせてください」
 私でなければ――その言葉に歩騭は胸を詰まらせた。貧しかった青年時代も、おざなりな感情で任官したときも、そんな言葉があろうなどとは思いもしなかったのだ。

 出立の直前、歩騭の元には友人である諸葛瑾や厳畯、共に仕事をした仲である是儀や胡綜、そして董襲より書簡が届いた。身体の健康を大事に、南方は遠いから道中安全に、ご帰還の際には都合が合えばまた酒を飲みましょう、そんなことが武骨な文字で丁寧にしたためられていて、知らず歩騭の口許には笑みが浮かぶ。
 今、董襲は孫権の傍らにあって、その事業を武事の面から守護している。彼はいつだって、江東の凛々しき守り人だった。
 ――不意にこみ上げてきた、彼に会いたいという望みをどうにか堪えて書簡を巻き戻し、大切に懐に仕舞う。
 歩将軍、と佐軍の兵士に声を掛けられ、歩騭はおもむろに振り返る――ついに己も、彼と同じように“将軍”と呼ばわれるようになった。
「それでは、行きましょう」
「はい!」
 威勢のよい返事に微笑を返せば、佐軍の兵士もまた小首をかしげて笑い返してくれる。
 後背から軍勢の間を吹き抜けていく風が、彼らが南へ向かうための道を差し示していた。


 ◇


 建安十五年の終わり、孫権の長史である張紘は彼の主人のもとへあるひとつの重大な上表文を持ち込んだ。
 将軍府の所在を、呉からその北西にある秣陵の地へ移すべし、というのである。
 秣陵はかつてはその名を金陵と呼ばれた地であったが、数百年の昔、始皇帝の東巡で当地に拠った際に望気者が見た王の気を嫌い、金陵の地形を壊しその名を“秣の丘”に変えさせてしまった。しかし今日でも秣陵は揚州を横切る長江の南部に位置し、江東へと続く交易路の重要拠点としてその都市機能を果たしている。

 孫権は張紘の上表文を具に見、大きく二度頷いた。曹操の軍勢に対抗し長江流域まで強力に支配を推し進めるためには、当地から若干距離を置く呉郡に構えられた拠点はいささかの心許なさを伴う。長江に程近く、交易の拠点としても発展している秣陵の各地の城邑には物資も多く、軍を運用していくには適していた。
 また、先だっての荊州戦役の後、曹操が長江流域の住民を北方へ強制移住させようとし、それに反発した十数万の住民が大挙して江東地域に押し寄せるという事件が起きた。これを受け、ほとんど空白地帯となった長江北岸の情勢を危ぶんだ曹操が当地に屯田兵を入れ農事と軍事に同時に携わらせるようになると、孫権の側としても境界地域に兵を置かないわけにはいかなくなる。襄陽以北を支配する曹操、江陵以南に割拠する孫権、劉備という鼎立の様相を呈し膠着状態となった荊州地域に比べ、長江流域の揚州はまだその戦況が定かでなく、均衡が崩れるとしたらこの地からであろうというのは誰の目にも明白だった。
 そうして建安十六年、孫権は、将軍府の秣陵への移転を決めた。

「……大きな邑ですね。東西南北がすっかり見渡せる」
 小高い丘が長江流域に連なる秣陵の草原、そのひとつの頂上から周囲を見渡しながら谷利が小さな声で言うと、孫権は然りと大きく頷いた。その通り左異が四方にぐるりと視線を巡らし、あっちも秣陵ですか、と北を指差せば、孫権はまたも頷く。
「あすこの江沿いの山の麓にあるのが石頭の城邑だ。かつて楚が越国を滅ぼしたとき、時の王であった威王、熊商に造られた要害だよ」
 あの地はいい、孫権は口許に笑みを浮かべて言う。
「とりあえず今は秣陵の城邑に仮に府を置いて、早いうちに石頭のほうへ移転したいですね」
 振り返った孫権の問いかけるような言葉に、彼の背後でそれを聞いていた張昭、そして張紘らがほとんど同時に首肯した。
 張紘の傍らに立つ是儀、字を子羽が眉根に皺を寄せながら言う。
「曹孟徳が行動を起こす前にはこちらの支度は整えておきたい。すぐにも石頭の改築に取り掛からせましょう」
「子羽どの、よろしくお願いします。それから新しく賢人の皆様を招く手はずも整えねば……」
「その件についてですが、会稽郡から何名か打診が来ております。後でお目通しを」
 張昭の後ろに控えていた胡綜、字を偉則が言うのに、また嬉しそうに孫権は微笑んで頷く。その柔らかい赤茶色の髪に風がささやかに絡まるのを見ながら、谷利も覚えず口許をほころばせた。
 湖沼の広がる呉郡の風景とはまた違う、雄大にして力強く流れる大河を望む秣陵の地。この地で、孫権による新たな統治が始まるのだ。

 周瑜の死後、孫権は対外政策に於いて軍事活動のみに重きを置いてきたこれまでを改め、諸勢力に対し融和や協調といった姿勢で臨むことも重視するようになった。
 先の歩騭の南方派遣を始め、荊州に拠点を置く劉備の一派とも表面上は協力関係を保つよう努め、こちらはその一切を程普、そして魯粛の手腕に委ねている。また、江東地域に於ける不服従民との抗争では、蒋欽や賀斉らの以前から山越討伐で功績のあった将たちはもちろん、しばらく将軍府から離れて地方官として務めていた朱然や陸議ら若い将たちの活躍も目覚ましい。陸議などは直接孫権宛に、不服従民らの中から兵を募り己の麾下に置いて調練する許可を得る書簡を提出し、孫権はそれに対し快諾の返答をした。後日の報告によれば、会稽の潘臨討伐に際して二千人余りの不服従民らを自身の部曲に加えたという。めいっぱい鍛え上げるから楽しみにしていてくださいね、と文面からも伝わってくる楽しそうな風情には孫権も、それを見せられた谷利も苦笑を浮かべるばかりであった。
 また、朱然については会稽郡での治績や度重なる山越征伐による功を取り上げ、いよいよ前線で兵事を運用させる積もりであるという。呉郡太守である彼の義父、朱治に彼の異動を打診した際には、どうぞ思う存分扱き使ってやってください、と呵々と笑われたそうだ。そのことをこっそりと孫権に聞かされたとき、谷利はたまらなく嬉しくなった。身近な存在を立て続けに亡くした孫権の傍に、ようやく彼の幼馴染とも呼ぶべき男が来てくれる。彼の知勇に加え、その聡明さや天真爛漫さが孫権の心を癒す一助になればいいと谷利は切に願っている。
 孫権はまた、陸議、朱然のほかにも、先の西方での功績があって長江南岸で蕪湖県令を務めている徐盛、或いは自身の書部を任せる胡綜や徐詳、字を子明のような、同世代、或いはもう少し若い部将、官人を積極的に取り立て出世させた。元より既に呂蒙や凌統のように若年の時分から多くの戦争で活躍するものもあり、孫権自身が未だ三十路に踏み込んだばかりの齢ということもあって、府内の大幅な若返りを図ろうというのである。
 一方で先達の顔を立てることも抜かりはない。張昭や張紘、或いは是儀らは変わらず彼の傍にあって、その政務を補佐し続けている。

「ところで、殿、車騎様」
「はい、なんでしょう?」
 手を拱いて改る張昭に孫権が首をかしげると、彼は、ご家族をお連れするのも任のひとつでは、と噛みしめるように伝えた。目を丸くした孫権が思わず、あ、と言うのに一同の間にため息が広がる。
「しまった、そうだった。どうしような、私はここから離れるわけにはいかぬので」
 登もいるしな、とぽつりと孫権は言う。
 建安十四年、孫権には長子が生まれた。彼は名を登といい、孫権の夫人の一人である徐夫人の手によって育てられている。三歳にしてすっかり落ち着きはらって凛々しい男だ、とおかしそうに言う孫権に、谷利や左異は自身や仲間たちの幼年の頃を思って、やはり育ちが違うものだなあとしみじみ頷きあったものである。
「誰か迎えに遣りますか」
「いえ、皆この秣陵での役割を担うために来た者たちですから、私用で動かすわけには参りません」
「でしたら、私が」
 そこに名乗りを上げたのは、張紘であった。驚いたように孫権は声を発する。
「東部どの」
「遷府に係る上表を出したのは私ですから、責任を持って完遂せねば。殿は先ほど私用と仰いましたが、あなた様のご家族はあまねく皆、公人の立場にあるのですよ」
 そうたしなめられ、張紘の隣で大きく首肯する張昭の姿も目に留めると、孫権は少しばかり頬を赤らめ、すみません、と返す。その様子に苦笑する張紘は続けた。
「ただ、私の弱体では皆様をお守りするのに若干不安がございますので、僅かばかりでも守護をつけていただけるとありがたいのですが……」
 彼の控えめな物言いに孫権は、もちろんですとも、と答える。
「東部どの、お申し出をありがとうございます。私の近衛から百人出します。孫公崇に率いさせますので、安んじてお車に乗られていてください」
「ありがとうございます。すぐに皆様をお連れいたしますので」
 両手を重ねて礼をする張紘に申し訳なさそうに眉根を寄せながら孫権は何度も頷いた。

 張紘を乗せた車、そしてそれを守護する孫高に率いられた牙門兵百人の出立を見送ってすぐ、車騎将軍の一行は秣陵城に入城した。
 役所を開く準備を整える傍ら、孫権は衛士に人払いをさせると谷利と左異とを側近くに寄せ、改まった態度で二人に向き合い、彼らを己の“親近監”とする、とした。おどけたように目を細めて、もう“使い走り”ではないよ、と笑う彼に二人は目を見合わせる。
「常に私の傍らにあって、私を厳しく見続けてほしい。これまでもそうであったが、これまで以上に至らない部分があればすぐに正してもらいたいのだ。もちろん張公たちに告げ口するのでも……まあ、うん、構わないが」
 自分の言葉で途端に渋面になる孫権に谷利たちが小さく笑えば、孫権もまた嬉しそうに頬を上げる。
 そうして二人を手招いて己のもっと傍に寄り添わせると、孫権はごくごく小さな声でこう言った。
「これから私は天下に打って出る」
「!」
 それまでの和やかな空気が一転、緊張を孕む。不服従民の出であり、中華の王室のことなど意に介さぬ営みの中にあった彼らも、孫権や彼の将軍府で王室に関わる事業に携わる人々と生活をしていくなかで、今孫権が発したことがあまりに重大であると理解するまでにはなっていた。
 二人の戸惑う様子に孫権は、まるで彼らを安心させたいかのように気安い笑みを浮かべる。
「何もこの中華を遍く併呑したいなどと、そんな大それたことを言うつもりはない。そもそも私の器量ではそんな大事業はできようはずもないからな。兄であれば、また違ったかもしれないが」
 息を呑んで孫権の話に聞き入る二人の目を彼は交互に見遣る。
「長江流域以南に、もうひとつ国を造る。この巨大な中華をひとつの器に収めようなどと、傲慢だとは思わんか。見も知らぬ南方の地に、さながらもうひとつの国があるようだとすら言われているのに」
「それは……」
 左異が、彼にとって甚だ大きな疑問のひとつを、恐る恐る口にした。
「……もう一人の皇帝を立てるということですか?」
 ――先達ては拒んだのに? 言外に、彼はそう含める。孫権は口許に手を持っていって、どうだろうな、と返した。
「本当に国に皇帝が必要か、と言うのは常々疑問に思っていたことだ。こんなことを口にしては、兄や公瑾どのに叱咤されるであろうが」
「では、あなた様の国ができると、そういうことですか」
 谷利はその胸に、かつて朱桓と共に夢想した夜を抱いて声を発した。しかし、谷利の熱望する目線に対しても孫権は、それもわからぬ、と口にする。
「もし皇帝が立つとするなら、豫章に、劉敬輿どのという方が住まいしてらっしゃる。かつて兄と敵対し攻撃を受けた劉正礼の子息だが、彼は漢王室の直系の子孫に当たるそうだ。私も兄について一度会ったきりだが、とても見目良く麗しい、折り目正しい青年だった。人の上に立つなら、きっとああいう人がいいだろうと思う」
 孫権の言葉に――その発せられる所以までは理解し得ないことで――谷利は少々落胆した。しかし、皇帝を必要とする国になるかはまだ定かではないのだと思い至って気を持ち直す。
 己は、“孫権が上に立つ国”を造るための補佐をすればよいのだ。
「その方のことはわかりませんが、我が君」
 谷利は神妙な面持ちで言葉を発する。
「これより、今まで以上に偉大な事業を進められるあなた様を、私も今まで以上に全身全霊をかけ守護いたします。どうぞお心のままに采配を振るわれてください」
「私も……」
 谷利の言葉を受けて、左異も控えめに口を開く。
「私も微力を尽くします。私たちの故郷の安寧のため」
「その通りだ、左異」
 孫権は満足そうに莞爾として笑い、二人を包み込むように抱き寄せた。
「私たちの、私たちの父祖の、そして私たちの子孫の穏やかな微睡みのために、共に戦おう」
 はい、と返事をした二人は、思い思いに孫権の肩の後ろに手をやった。
 このあたたかな体が人を生み、慈しみ、統べていく。
 それはとても素晴らしく、美しいことのように、谷利には思えた。


 ◇


 呉郡へ孫権の家族を迎えに帰還していた張紘が病に倒れたという報が届いたのは、それから程なくしてのことだった。すぐに孫権は自らも医師を手配して使者と共に張紘の見舞いに向かわせたが、翌建安十七年の仲春、張紘の子息の直筆で張紘の訃報が孫権の元に届けられた。
 かつて、張紘と共に孫策の麾下に参入し、孫権がその事業を継いだ後も重鎮としてこれまで補佐を続けてきた張昭も、突然の訃報には言葉もなく、沈痛な面持ちで押し黙るばかりである。
「…………喪に服する準備をいたしましょう」
 ようやく、孫権はそう言って席から立ち上がった。そうして張昭の傍へ片膝をつき、その肩にそっと触れて、あなたも、と彼を覗き込んで促す。
 張昭は重々しく首肯して、孫権の後に続いた。

 建安十七年四月、張紘の息子である張靖、そして張紘の守備として共に呉郡に帰還していた孫高ら百人の衛士と、彼らに付き添われた孫権の家族らが秣陵に到着した。
 張靖は秣陵の政堂で孫権に目通りすると、深く頭を下げ謝意を述べた。それに対し孫権も、張靖へ哀悼の意を伝える。
「我が君、父よりあなた様へ宛てた書簡を預かってまいりました。どうぞお納めください」
 差し出された書簡を受け取り、孫権はそれをゆっくり開いて読み進めていく。その様子を斜め後ろから見守っていた谷利に、左異がひっそりと話しかけた。
「誰も皆、我が君に文を遺すのですね」
「…………、……そうだな」
「周公瑾様もそうでした」
 ひとつ、谷利は小さく頷く。
「文字が書ければ、そうして己の遺志をしたためるに十分な時があれば、きっと誰だってそうするだろう」
「そうでしょうか」
 左異は孫権の後頭部をじいっと見つめながらぽつりと、皆も、と言った。
「皆も文字が書けたら、そうしたかなあ……」
 その言葉を聞いていた谷利の脳裡にも、去来するものがあった。左異の言う皆とは、きっと谷利の思い浮かべる皆に近いものがあっただろう。

 死してなお、後に遺せるものがある者たちは幸福だ。
 己の手には何かあるだろうか――谷利は、そんなことを考えてしまった自分をひどく嫌悪した。